「寂しさについて」 | ◆根本裕幸

◆根本裕幸

恋愛や結婚、性などのパートナーシップ・家族に関する問題からビジネス、対人関係、健康・病気・死など幅広いジャンルを扱う。感情・感覚をフルに使った“目からウロコ”な心理分析や、じんわりと心に響くハートフルな癒しには定評がある。

*「こんなとき、どうしたらいいの?」にお答えする心の処方箋シリーズ*

以前に一度同じテーマを扱ったことがあります。
なんともう2年半も前。

改めて見つめなおしてみたいと、思うのです。
*寂しさというのは、人を狂わせるだけの「何か」を持つようです。エネルギーというか、パワーというか。この寂しさを埋めるために私達はいろんなことをします。白いスケジュール帳が怖くて、予定を入れます。自分と一緒に過ごしてくれる人がいることに安心します。ばりばり仕事をして自分を認めてもらおうとします。認められる、すなわち、人からちゃんと“見止められている”ということに安心します。お酒やドラッグなどの刺激を求めています。その刺激は寂しさを忘れさせてくれるに十分なのですが、醒めたときはもっと強い寂しさと空しさに襲われます。それを感じまいとして、更に強い刺激を求めてしまうのです。セックスを求めます。自分だけを見てくれる時間。自分に体を開いてくれることを感じ、そして、肉体的なつながりを感じると、すごく安心します。でも、そこに愛がないと、ただ、虚しいだけで満たされることはありません。たくさん買い物をします。その豊かさにより、心の隙間を埋めるために。でも、それは残念ながら物では埋まらないのです。だから、どれだけ手に入れても、寂しさはなくなりません。恋人を作ります。好かれ、愛されるために。でも、それが一方的な欲求からならば、寂しさは埋まるどころか、どんどん強くなり、過剰な愛を求めるようになります。でも、求めているうちは、それは埋まることはありません。だから、一人では満足できずに、たくさんの恋人を求めなければいけなくなります。食べ物をたくさん食べます。私達にとって“口”は愛情を受け取り、与える機関。だから、口いっぱいに頬張り、満腹感を得ることは強い安心感をもたらしてくれます。しかし、それは一時のこと。もっと食べなくては、その安心感を持続させることはできません。貯金などでお金を貯めようとします。豊かさは安心感を生み出し、そして、人や情報も呼び寄せるからです。でも、どこかで知っています。求められているのは、自分ではなく、お金であることに。それに気づいたときに、寂しさは絶望へと変わります。すなわち、私達は愛の無いところで繋がりを見失い、この寂しさという途方も無い感情を感じてしまうようなのです。でも、愛を感じているときは、両手に何も持っていなくても、私達は深い安心感と共にあります。繋がりを感じ、誰かの笑顔を実感できるときは、何も求めなくても、やはり深い安心感が訪れます。それにはただ気づくだけでいいのです。ただ愛し、愛されていることに気づくだけで。“欲(エゴ)”を手放し、ただ、そこにある“愛”だけを選んだとき、私達の寂しさは一瞬で消え去るのです。その時私達はすべての人、物、空気、自然との一体感を感じることができます。ただ、生かされ、すべてがうまく流れ、不必要なものは何もないことに気づかされるのです。そして、傲慢さを恐れずに言えば、その瞬間、自分が世界の中心にあり、世界が自分のためにあることに気づかされるのです。すべてと一体である以上、寂しさは必要なくなります。もし、余裕があるとすれば、今まで私が愛し、私を愛してくれた人を一人ひとり思い浮かべ、心の中で感謝の言葉を伝えてみましょう。そこで、エゴはあなたが傷つけた人、あるいはあなたを傷つけた人ばかりを呼び起こします。それを振り払い、ただ、愛のみとつながってみましょう。
心の処方箋