うちの乳児(もうそろそろ乳児と呼べなくなるんですけど)は最近トコトコ歩くようになりまして、1歳3ヶ月にしてもう歩くのか・・・と不思議です。
知識としては知ってることなんですけど、改めて現実を前にするとちょっと信じられないような感じです。
ついこの間までは高速ハイハイしまくってたのになあ、と。
*僕のオフタイムは基本的に奥さんと子どもと過ごします。昨日も根本家としては珍しく午前中から出かけまして、お陰で夕方三人でお昼寝することができました(笑)手を繋いでトコトコ歩くわけですが、気まぐれにあっちに行ったりこっちに行ったり、道端に落ちているゴミに非常に興味をそそられたり、走り去る車を指差し確認したりして気ままに喜んでます。パパやママみたいに歩けることがとても嬉しいようで。その姿はちょうど某番組のチンパンジーのパン君のようでとてもかわいいのです。*出張生活を繰り返していると、10日とか平気で自宅を離れます。帰ってくると顔が変わっていたり、できなかったことができるようになっていたり、その成長にとてもびっくりさせられるんですね。それはとても嬉しいことだけれど、一方では寂しさもちょっとあります。今うちの子は1歳3ヶ月なんですけど、1歳3ヶ月の深希に会えるのは今だけなんですよね。確かに普通のサラリーマンと違って、寝てる顔しか見られない生活ではありません。平日(仕事日)もお風呂に入れたりご飯を食べさせたり一緒に寝たりできますから、幸せです。でも、欲を言えばもっと一緒にいられたらいいのになーと思うんですね。かわいいし、やはり、今は今しかないから。*子どもが出来たことで、今までよりも僕自身の考え方や生き方などが、だいぶ変わりました。深希から教えてもらえることはもう膨大過ぎて言葉にできないくらいで、かけがえのない人生の教科書になっています。楽しいとか面白いとか笑うとか、この1年でどれくらい増えたことでしょう。命の大切さや自分にとって本当に大事なものをいっぱい教えてくれてます。まあ、もちろん、奴にそんな気持ちはないでしょう。純粋に嫌なことは嫌で、嬉しいものは嬉しい、素直なだけです。この一瞬、今を生きることの大切さを痛感させられます。今日の奥さんに会えるのは今日だけですし、今日の自分でいられるのは今日だけです。子どもは成長が早いから時間の大切さを教えてくれるだけで、それは大人であっても同じことなんです。今を生きる、という言葉。気が付けば、最近僕がとてもよく使っている言葉です。今日しかない今日、今しかない今をできるだけベストを尽くすことがシンプルに大切なんだと思っています。もちろん、その「今」が最悪の気分の時だってあるわけです。でも、悪いなりのベストもあるでしょう。無理にテンション上げて楽しむことは要らないと思います。中野がそのときの感情をただ感じてあげる」ってことを書いてましたが、ほんとその通りですよね。今の気分、感情を見つめることだけで良いんだと思わされます。*そうした一瞬の大切さは仕事にも生かされてます。僕は面談のカウンセリングが今はメインです。その2時間の枠の中で、前回までとの違いや成長がとても敏感に感じられるようになったのも不思議です。何か違うよなあ~なんだろうなあ~表情かな?雰囲気かな?ちょっとした些細な表情、仕草、言葉遣い、醸し出す雰囲気。やはり何かが変わってるんですよね、みんな。誰でも最初に会ったときの印象って残りやすいですよね?だから、何回もお会いしていくうちにその変化がわかりやすくなります。自分では気付かないところで、色々変化しているものです。僕が「変わりましたよ、こういうところ」って言っても、ほとんどの方は「ええ、そんなことないですよー」とか「本当ですか?実感ないんですけど」って答えられます。穿った見方をされる方は、カウンセラーからのリップサービスじゃないか?なんて思う人だっているでしょうね、ふふふ。そう思われても仕方ないですけど、そういうリップサービスはしない主義です。意味ないですもん。だから、「何が変わったんだろうなあ?」ってその証拠を探すんですけどね。「で、こんな言い方しなかったよね?」とか「その表情!」とか、印を見つけようとします。まあ、それでもなかなか信じられないものです。*先日、長いお付き合いのお客様から「根本さんが昔と変わったところは・・・」なんて話になりました。「やはり“父親”ってのが大きいですかねー。ある意味では厳しく、でも、懐はまた深くなったんじゃない?許されてるって感じはすごくするようになったもん」と。ああ、確かにそうかもしれないなー、意識してないところで色々変わってることは分かるよ。そう言ってもらえると嬉しいねー。(長い付き合いになってくると人によっては敬語じゃなくて、だいぶタメ口になることも多いんです(笑))そう、僕も良い悪いは無く、ただ変化し続けてるんですね。。。