・出典:ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議
・ニュースレター第117号
・日本におけるダイオキシン問題の現状と課題
・ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議/止めよう!ダイオキシン汚染・東日本ネットワーク 藤原寿和
はじめに
1979年、埼玉県所沢市や茨城県新利根町、大阪府能勢町などでゴミ焼却によるダイオキシン汚染問題が発覚して大きな社会問題となっていました。
このようなダイオキシン汚染の危機を避けようと「ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」(以下、国民会議)が発足したのは翌98年9月のことです。
代表に就任した故・立川涼氏(当時高知大学学長)は、83年(当時愛媛大学教授)に西日本の9つのゴミ焼却場の飛灰からダイオキシン類を検出したことを発表し、これが日本でダイオキシン汚染問題がクローズアップされるきっかけとなりました。
国民会議は発足翌年の99年2月に「ダイオキシン類緊急対策第一次提言」を取りまとめ、内閣総理大臣を本部長とする「ダイオキシン類緊急対策本部」の設置や、ダイオキシン類の発生源に対する排出規制の強化や健康被害の補償などを盛り込んだ「ダイオキシン類緊急対策特別措置法」の制定などの提言を行いました。
当時、いち早くダイオキシン規制法の制定を求める運動を行っていた「止めよう!ダイオキシン汚染」を掲げる関西や関東などの市民運動団体などの取組みもあって、ダイオキシン類汚染を規制すべしとの世論の盛り上がりがあり、99年7月に超党派のダイオキシン議員連盟)により、「ダイオキシン類対策特別措置法」(以下、特措法)が議員立法により成立しました。
ところが、特措法が成立する5カ月前の99年2月1日の報道番組において「所沢産の葉物野菜」との表現でダイオキシン類の測定結果が報道されたことをきっかけに埼玉県産野菜の価格が暴落し、その後、ダイオキシン類の報道にブレーキがかかりました。
また、前後して一部の学者などによる「環境ホルモン空騒ぎ」「ダイオキシンは怖くない」といった論調の記事や書籍が相次いで出版されたことで、マスコミ報道を含め世論は急速に下火になってしまいました。
国民会議の緊急提言、特措法の施行から20年近くが経つ現在、「ダイオキシン、環境ホルモンは空騒ぎだったのか?」その検証が必要だと思います。
また、今年の8月25日~30日に第39回ダイオキシン国際会議*1が京都で開催されます。この機会に日本のダイオキシン汚染とその対策の現状、そして今後の課題について考えてみます。