それは、高く評価されている独立系の出版物マイクロウェーブニュース(Microwave News)の編集者ルイ・シレシンの信念であった。
シレシンは電磁場とがんに関するどの様な証拠の断片をも追いかけており、彼は他の科学記者らは電磁界は危険であるという単純な真実を見失っているということを確信していると述べている。
”その新たな結果は、医師、生物学者、物理学者、疫学者、技術者、ジャーナリスト、そして政府当局者、その他の専門家らによって進められた、携帯電話とがんの関連付けは不可能であるという従来の知識を否定するものであった”と、彼は書いた。
”彼らは、彼らの携帯電話は彼らに長らく告げられていたようには安全ではないかもしれないということを、あたかも聞きたくなかったようであった”。
シレシンにとって、この新たな研究は決定的な証拠であり、彼が科学的な躍進であると考えることを、記者らはあまりにも早々と捨て去り過ぎると彼は感じた。
”いくつかの例外を除いて、記者らは、この国家毒性計画(NTP)の研究結果を無視した”と、彼は私にeメールで書いた。
”彼らは、彼らの携帯電話は彼らに長らく告げられていたようには安全ではないかもしれないということを、あたかも聞きたくなかったようであった”。
現時点で、それはは大きな吸引力を得られそうな見解ではなく、シレシンはこの問題について言い過ぎていると私は考えたい。
しかし、彼は、耳を傾けるに値すると思うし、彼は、全ての記者もそうあるべきであるが、真実に至りたいという願望によって動機付けられていると私は思う。
それでも彼の記事は、今日最も尊敬されている分析的な医学ジャーナリストの一人であるフォーブス(経済紙)のマシュー・ハーパーの記事に直接的に対立するものである。
この新たな研究について、”我々が恐れていた瞬間である”と宣言したマザージョーンズ誌の懸念すべき記事 (訳注2)を参照しつつ、彼は携帯電話問題に関する短い随筆を書いた。
ハーパーは次のように述べている。”マザージョーンズ、恐れるのを止めなさい。
・・・専門家らは、その結果は真実ではないかもしれないと言っている。
たとえ真実であっても、関連するそのがんの種類は非常に稀なものなので、人間に及ぼす全体的なリスクは無視できるであろう”。
ハーパーは、以前にも同様ながん騒ぎについて何回も書いており、新たな研究に関する彼の記事は正確にその新たな発見を反映した。
しかし彼はまた、たとえ彼らが少なからず証明しても、(そのことは十分あり得ることだと彼は示唆したが、)そのリスクは小さいということを強調した。彼は、その結果を退けるのに早すぎることはないというこを、どの様にして確かめたのであろうか?
”私は初めはびっくりし、少し懐疑的になったが、私の情報源は私よりも、もっと懐疑的であった”と、彼は私に話した。もしあなたが人々に十分に話をすれば、”あなたは、何が可能性の限界かを見つけることができる”と彼は付け加えた。
ハーパーの考えによれば、これらの限界は意味のある懸念の余地をもたらさなかった。
そして彼は二番目の随筆 ”昨日の携帯電話がん騒ぎは、ジャーナリズムの将来について少し恐怖を与える” を書いたが、それはいくつかの出版物、マザージョーンズだけでなくウォールストリートジャーナルもまた、人騒がせな記事であると批判した。
しかし不安を煽るジャーナリズムは明らかに社会の基準ではなく、評判の良い監視サイトであるヘルスニュースレビュー(HealthNewsReview.org)への寄稿者であるアンドリュー・ホルツは、この記事に関心を持つ人々は、すでに自身の考えを確立しているということができると述べた。
”私は、携帯電話の電磁波について、そして以前には電力送電線について、数十年間報告してきたことを躊躇なく認めるし、私の考えを変えるためには多くのことが必要であろう”と、彼は述べた。
”ひとつの視点を持つのは人間の性である”と彼は続けた。”もし、一方又は他方に対等の証拠を確かに持ったなら、好ましいと思う方にとどまる傾向があるであろう”。
さらに、”ひとつの研究が証拠の全体に関する私の見解を変えることはないと彼は述べた。
”何か新しいことを加えることはできるが、それは積み重なる川のさざれ石のひとつである”。
”長い間、これらのことを報道してきた人々には、より用心深く(circumspect)、より慎重(cautious)になる傾向がある。
その種の獲得されたジャーナリスティックな慎重さ(wariness)は、とりわけ気候変動を含む他の科学的記事の分野で明白である。
”長い間、これらのことを報道してきた人々には、より用心深く(circumspect)、より慎重(cautious)になる傾向がある”とニューヨークタイムズのドットアース(Dot Earth)ブログの著者、アンドリュー・レブキンは述べた。
”しかし私が新たな論文を読むときはいつも、私自身の偏りを監視するよう心掛けている”。
ハーパーや他の多くの人々の様に、彼は自身の考えを作り上げるときには、評価を得るのに信頼を置く専門家に新たな論文を送る。
レブキンはまた、その科学的記事の中の主要な問題が過度な警告でなく、その正反対であることを懸念する。
”私は、それがまだ支配的であり、現在広くいきわたっている”と彼は言った。
それでも記者らは、反射的な懐疑を警戒(wary)すべきである。
記事を自動操縦装置にかけ、疑いを前提にするということでは不十分である。
今日のジャーナリスティックな知恵は、記者らは潜在的なリスクを控えめに言い、恐怖を利用して誇大広告に加担することを避けることが重要であると示唆しているように見える。
しかしまた、新たな研究とそれが提起するかもしれない潜在的な懸念に心を開くことも重要である。
環境的及び化学的暴露のあるものは、かつて広く許容されて、それらのリスクが退けられても、今日では健康に、議論の余地のない危険をもたらすことが知られている。
これらには、家庭塗料や飲料水中の鉛、海産物中の水銀などがある。コンシューマーリポートは、マグロの水銀は、アメリカにおける”食物からの水銀暴露の約37%”を占めると昨年書いた。
その会員がビスフェノールA(BPA)から難燃剤まで議論ある産業化学物質を研究している科学団体である内分泌学会(Endocrine Society)のメディア担当副ディレクター、ジェニ・ジンジェリーは、ジャーナリストらは適切な展望の中に物事を保つために適正な仕事をしていると述べている。
”我々は内分泌かく乱化学物質に関する新たに出現している科学に取り組んでいるが、ジャーナリストの大部分は最新の研究結果について研究者から話を聞くことに非常に心を開いている”と、ジンジェリーはeメールで伝えてきた。
後者の言及は、記者らが不確実な科学的発見にうんざりして、それらが生じる時に潜在的に重要な結果を取り逃がすということにならぬようにすべきことを思い起こさせている。
責任ある懐疑論と長年の経験から得られる知識は、もちろん記事を導く。
しかし、それは、ジャーナリストに研究のあるものは真に風景を変えるものだということを忘れさせるよう導くものであってはならない。
携帯電話研究はそれらのひとつではない。しかし、次の議論ある科学記事はそのようなことがあり得る。