・2 歴史、定義、名前、及び他の症状との区別
2.1 MCS、発展の歴史
アレルギー学者ランドルフ(1952)は、職場及び家庭において日々の生活で周囲にある化学物質から症状を経験するアメリカの患者のグループに関して初めて報告した。
彼は、彼等の症状は溶剤、ガソリン、香水、排気ガスなどの有機化合物への曝露によるストレス反応によって引き起こされると想定した。
ランドルフと彼の同僚たちは上記に合致するいくつかの新たな症例について発表した。
ランドルフ等は1950年代及び1960年代当時のアレルギーに関する広義の定義に従って、これらの病気は一種の過敏反応であると考えた。
すなわち、ほとんどの人には引き起こされることはない、外部刺激に対するひとつ又はそれ以上の器官での”過剰”又は”過度”な反応である。
しかし多くの医師及び少なからぬアレルギー学者及び免疫学者はこの定義を否定した。
彼等は、過敏症の(免疫的)ベースとして抗原-抗体-機序の狭義の定義に固執した。
この否定に対応してランドルフは何人かの意見を同じくする仲間とともに1965年に人間環境医学のための新しい学会を設立した。
彼は全ての医学分野医師たちにこの学会に入るよう勧めた。
1985年この学会は、”アメリカ環境医学会(American Academy of Environmental Medicine (AAEM))”となり、そのメンバーは臨床環境医師と呼ばれた。
この学会は現在、約2000人の会員を擁し、そのうちの800人は耳鼻咽喉系学者である。
この学会の名前は、デンマーク語では環境医学として理解される概念を含んでいるが、アメリカで言う臨床環境医師はデンマークの環境医学の専門家と同じではない。
AAMEの定義に従って診断される環境病もまた、デンマークの医師たちが環境病と見なすものとは同じではない。
1992年、同学会は環境病のための総体論的病気モデルとしての理論を発表したが、そこにはMCSをも含まれる。
この理論によれば、過敏症の人々によって経験される多くの症状は、体の生物学的システムのひとつ又はそれ以上の機能的異常によって引き起こされる(AAEM, 1992)。
AAEMによれば、我々はその数がますます増大する潜在的に有害な化学物質に取り囲まれており、それらが人々に与える影響が増大しているためにMCSが出現するようになった(Annex A 参照)。
AAEMの理論と概念は6.6節で詳細に記述されている。
1980年代に、MCS及び他の状態、さらにはMCSに類似した症状に関するより多くの報告が発表された。
健康に異常をもたらす物質のリストもまた相当な数になった(4.7節 参照)
原因となる曝露は、家庭で、職場で、そして屋外でと、あらゆる所で起こり得る。
1990年以来、MCSは、アメリカとカナダにおいて専門家及び一般公衆の間で議論されてきた。
そこでの議論は、認知された病気としてのMCS、どのように定義するかそしてその原因は何か、病気の機序、治療、MCSに関連する当局の役目、などである。
メディアがMCSを取り上げたりMCS患者やその支援者が当局に援助を求めてきたこと等により、MCSに関する未解決の問題が明確になってきた。
アメリカ政府のいくつかの省庁はこの議論に関与してきたし現在も関与しており、多くの会議やワークショップに資金提供を行っている。
多くの点でMCSと比較することができる”湾岸戦争症候群”に関する議論は、アメリカ行政府における高所からの多くの支援と多くの資源を引き出した。
アメリカとカナダのいくつかの州では、MCS患者は補償の手当てを与えられ、MCS患者を受け入れ治療を行う、いわゆる生態環境健康センターが設立されている(8章 参照)。
もうひとつの歴史的展望もこの報告書の”はじめに”に関連しているように見える。
歴史からの多くの事例を扱った検証記事の中で、ゴーゼ(1995年)は、短い期間に非常に異なる環境要因によって疫学的に拡大した病気の新たな概念が、どのように注目を集めてきたかを記述している。
・上記の症状の特徴的なことは、客観的な機能的・器質的身体変化を検出することができなかったということである。
症状は特定のものではなく、MCSの症状と似ている。
多くの症状は数年又は数十年の間に消滅した。