3.4.3. 環境化学物質に対する遺伝的感受性(遺伝子多型)との関係
化学物質に関する遺伝的な感受性に関する論文も報告されています。
自記式調査票を用いて化学 物質への反応が高いと答えたケースとコントロールとの間で、化学物質や薬物の代謝に関与する代 表的な遺伝子(CYP2D6、NAT1、NAT2、PON1、PON2、GSTT1、GSTP1、GSTM1 など)について、遺伝子多 型 SNPs の分布頻度を比較した論文が 6 報報告されています 25-30)。
このうち 3 報 25,29,30)では、SOD2、 CYP2D6、NAT2、GSTM1、SGTT1 の変異の分布に有意な差がある(p<0.05)とされましたが、数多い複 数の統計学的な比較検定を行っているにもかかわらず(多重比較を行う際に必須とされる)P 値の 補正はされていませんので、結果の意味付けは難しいと思われます。
この中で、最近の Cui らの報告では化学物質過敏症の研究でQEESI(QuickEnvironmentalExposure and Sensitivity Inventory)と呼ばれる自覚症状質問票の得点を用いて化学物質過敏症のケースを 定義したところ、SOD2(スーパーオキシドディスムターゼ)の活性が高い型をもつと、QEESI 高得点群になるリスクが高いと報告しています 25)。SOD2 の活性が高いと酸素ストレスを生じやすく、こ れが化学物質への過敏性と関係している可能性を示唆していると著者らは述べています。
しかし、 この研究ではケースの数は 11 人と少なく、QEESI 得点との量-反応関係はありませんでした。
なお、 化学物質過敏症を訴える患者さんには、パーソナリティ障害や身体表現性障害などとのオーバーラ ップも多く、他の身体・精神疾患を考慮すべきとされ 8,20)、QEESI の得点のみを用いてケースとして 扱って、ほかの精神心理要因などの可能性について除外を行っていない場合は、「多型の違いが化 学物質への過敏性を示唆する」という結果の解釈でよいのか、注意が必要です。
よりサンプルサイ ズが大きい Fujimori や Berg の論文では、ケースとコントロールの遺伝子多型の頻度分布には差が
見られず、著者らは化学物質過敏症における遺伝子の役割は小さいのではないかと結論づけていま す 26,27)。
一方、化学物質過敏症を訴える患者さんでは、精神神経疾患の合併率が(42~100%)と高いこと が報告されています 31,32)。
そのほとんどが不安障害、気分障害、身体表現性障害であるため、いわ ゆる化学物質過敏症の発症には、環境要因、特に心理社会的ストレスの関与が示唆されると心身医 学の専門家は記述しています 33,34)。
たとえば、CYP2D6 は薬物代謝酵素の遺伝子であるとともに、神 経伝達物質であるモノアミンやセロトニン代謝にも関与します。
しかし、職場環境のような比較的 高濃度の化学物質ばく露のもとでもこのようなモノアミンやセロトニン代謝そのものに影響がでる ことはありませんので、もしもこれらの遺伝子多型が化学物質過敏症に関係していた場合は、化学 物質よりもむしろ脳内神経伝達物質の分泌量の違い(異常)によっておこるという説明も示唆され ています 30)。
Binkley らの研究では、化学物質過敏症を訴える患者さんでは CCK-B 受容体アレル7を持つ者が コントロールよりも有意に多いという結果が得られました 35)。
CCK-B はパニック症候群との関連が 報告されている遺伝子で、化学物質過敏症の方々の症状のうち、「不安」を引き起こす要因として、 パニック障害などの疾病と(神経遺伝学的な)共通点があるのではないかと著者らは考察しています 35)。
しかし、実際この研究もケース、コントロールともに対象者は 11 人と少なく、著者らは化 学物質過敏症への遺伝子の影響は少ないのではないかと結論付けています 35)。
このように現在まで の内外の研究では化学物質過敏症を遺伝的な感受性の違いで説明するのは難しい状況です。