-3:アメリカはなぜ、有害な化学物質を市場に出したままにしているのか? | 化学物質過敏症 runのブログ

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 PBPK による研究が化学物質をより安全であるように見せるために使用できるということは現在と同様に1980年代に明確であった。

この新たな技術を推奨する1988年の論文の中で、ライト・パターソンの科学者らは、彼らのモデルが EPA に対して、軍にとって大きな懸念であった化学物質、塩化メチレンの規制プロセスをどのようにして停止させたかについて説明していた。

  塩化メチレンは、プラスチック、医薬品、農薬、そしてその他の工業製品を作るときに溶剤や成分として広く使用されている。

1990年代までに米軍は、アメリカ国内で2番目に大きな塩化メチレンのユーザーであった。

塩化メチレン-そしてその残留物-は、その発がん性と神経毒性のために有害な大気汚染物質として大気浄化法の下に規制された。

  1985 年から1986 年の間に、国立労働安全衛生研究所は、年間約100万人の労働者が塩化メチレンに暴露したと推定し、EPA はこの化合物を ”おそらくヒト発がん性がある物質(probable human carcinogens)” として分類した(訳注7:発がん性分類)。

全米自動車労働組合及び全米鉄鋼労働組合を含む多くの労働組合もまた、職場での塩化メチレンへの暴露を制限するよう労働安全衛生庁(OSHA)に請願した。

  1986年、OSHA は職業暴露制限の設定プロセスに着手した。利害関係者らはパブリックコメントを提出するよう求められた。

  提出された資料の中には、当時ライト・パターソンで働いていた Melvin Andersen 及び Harvey Clewell 、及び、塩化メチレン製造者であるダウ・ケミカルに雇われていた二人を含む何人かの他の科学者らによるよるある PBPK 研究があった。

1987年に発表されたこの研究は、”従来のリスク分析は [塩化メチレンに] 低濃度で暴露した人間のリスクを著しく過大評価する”と結論付けた。

  同年遅くに EPA は、そのライト・パターソン研究を引用して同化学物質は以前に推定されていたよりリスクが 9 倍小さかったと結論付け、塩化メチレンの以前の健康評価を修正した。

EPA は我々の研究に基づき、塩化メチレンに関する規則制定を中止したと、1988年にライト・パターソンの研究者らは書いた。

  OSHA もまた、塩化メチレン評価においてそのライト・パターソン研究を考慮し、その規制制定は、同庁が最終的に同化学物質への暴露を制限するまでの10年間、遅延した。

  PBPK モデルの産業界にとっての有用性は、ライト・パターソンの研究者らを逃がさなかった。

 Andersen、 Clewell 及び彼らの同僚らは1988年に次のように書いた。

”潜在的な影響は広範囲に及び、塩化メチレンだけに限られるものではない”。

暴露制限を設定するために PBPK モデルを使用することは、”不必要に高価な規制”をもたらし、”重要な産業プロセスを束縛”することになる”過度に保守的な”-すなわち保護的な-制限を設定することを回避するのに役立つ。言い換えれば、PBPK モデルは、甘い環境健康基準を設定するために用いることができ、産業側の出費を抑えることができる。

  現在までのところ、彼らの言うことは正しいことが証明されている。

ライト・パターソンでなされた仕事は、その後30年以上、現在に至るまでのお膳立てをした。

PBPK モデルを用いて得られた結果-特に産業側が資金調達し、しばしば元ライト・パターソンの科学者らにより実施された研究-は、リスクを軽視し、広く使用されており商業的に儲かる化学物質の規制を遅らせた。

これらには、ホルムアルデヒド、スチレン、トリクロロエチレン、BPA、そして農薬クロルピリホスなどがある。多くのそのような化学物質について PBPK 研究は、実際の生物学的実験が結論付けることと矛盾する。

それにもかかわらず、規制当局はしばしば PBPK 研究に従う。