・4 MCSの事例
4.1 有機溶剤への曝露によるMCS
4.1.1 トンネル工事作業中にガソリン・ヒュームに急性曝露した労働者のMCS
4.1.2 プラスチックへの曝露によるMCS
4.2 農薬への曝露によるMCS
4.2.1 デンマークの状況
4.3 木材防腐剤-ペンタクロロフェノール(PCP)、ドイツ
4.3.1 レントリン(Rentolin)への曝露によるMCS、デンマーク
4.4 屋内環境に関連したMCS
4.5 湾岸戦争症候群 (GWS)
4.6 コメント
4.7 MCSを引き起こす化学物質
4.7.1 MSCに関連する化学物質と初期曝露
4.7.2 複合反応を引き起こす化学物質(引き金物質)
この章では、第2章で述べられている定義基準と2段階の進展を満たすMCSの典型的な症例を記述する。
•有毒用量の(必ずしもその必要はないが)化学物質に初期曝露する。
•より低用量で同じ化学物質に曝露するといくつかの器官の反応が増大し、他の化学物質へ曝露しても症状が進展する(引き金物質)。
4.1 有機溶剤への曝露によるMCS
長年、有機溶剤に曝露すると脳や他の器官に様々な障害を及ぼすことが知られている。
MCSは、長期間のそのような曝露によって引き起こされると見なすことができる。
デンマークの産業医療病院及びコペンハーゲン大学病院国立病院耳鼻咽喉科からの報告書がそのような症例を扱った最初のもののひとつである(Gyntelberg, 1986)。
著者は、”獲得性有機溶剤不耐症(Acquired intolerance for organic solvents)”という用語を使用している。
この調査は低用量溶剤に曝露した後、異なる器官に多くの症状が出るようになった50人の人々を対象とした。
このような用量では以前は症状が出なかった。
50人全員が以前に急性溶剤中毒を経験していた。
22人が毒性脳障害(toxic encephalopathy)の症状を示した。
全員にもっとも顕著な症状は、めまい、吐き気、疲労であり、それらは溶剤が取り除かれると消滅した。
他の物質への曝露による症状についての記述はない。情報がないのでジンテルバーグ(Gyntelberg)の報告はMCSの定義に合致しない。
著者等はまた、ストックホルムとコール(1979)が、以前に溶剤中毒になり、環境チャンバーでの実験中に他の研究対象者よりも溶剤に強く反応する人を発見したと述べている。
ラスムッセン(2002)は、神経系に障害、例えば、毒性脳障害(toxic encephalopathy)を受けた人々は有機溶剤に、またしばしば、非神経毒化学物質にも、感受性を高めていることを確認した。
スウェーデンの産業医師は同様な経験を持っており(例えば、Orbak, 1998; Lindelof and Georgellis 1999, 2000))、ノルウェーのレビー(1997)はMCSの第2段階はしばしば、仕事と曝露の長期間の中断の後に引き起こされる。
これらの人たちが職場に復帰すると、以前には使用していた化学物質への曝露に耐えることができなくなる。
もっと低濃度でも耐えられなくなる。
彼等は、香水、排気ガス等に曝露すると広汎な症状を訴えるようになる。
同じ人たちはアルコールと薬品に対しても耐性が低くなる。
MCS様症候群はフランスの産業医学調査の中で記述されている(化学物質の匂いへの不耐性症候群)。
30症例中19例において、症状は専ら有機溶剤への曝露によって引き起こされたが、ジンテルバーグ(Gyntelberg)の記述に対応している(Grimmer, 1995)。
30人中の17人のグループは後に他の物質への不耐性を示すようになった。この現象は”匂い過敏性”と呼ばれた。
17人全てが以前に溶剤に曝露したわけではない。
ストックホルムの環境医学部門のグループは、家屋塗装工は他のどのような職業の人よりもMCS様症状を被っていることを発見した。
実際に働いている塗装工への質問調査で、584人の回答者中191人が有機溶剤に対して匂い過敏性を訴えたが、49人がMCS基準を満たす症状を持っていた。
後者の塗装工グループは、明らかに残りのグループよりも症状により悩まされていた(Lindelof, 2000)(6.4節参照)。
コーン(1987)とラックス(1995)の二人は、それぞれ1200人及び605人からなる彼等の産業医療患者の中のMCSを持つ人の小グループについて記述している。
コーンの患者13人とラックスの患者35人はカレンの基準を満たしていた。コーンの患者の大部分は初期段階で有機溶剤に曝露していた。
表4.1 溶剤への曝露によるMCS症例の概要
産業医療調査
著者 症候群 人数 曝露 初期 ”引き金”物質 ジンテルバーグ
1986 獲得性有機溶剤不耐症 50 50有機溶剤 有機溶剤 グリマー
1994 化学物質匂い不耐症候群嗅覚過敏症 30
17 19有機溶剤 有機溶剤 及び”広範囲”の他の化学物質 リンデロフ
2000 匂い過敏症
MCS 19149 有機溶剤有機溶剤 有機溶剤”広範囲” コーン
1987 MCS 13 11有機溶剤 ”広範囲” ラックス
1995 MCS 35 示されていない ”広範囲”
4.1.1 トンネル工事作業中にガソリン・ヒュームに急性曝露した労働者のMCS
ダビドフ(1998)は、2ヶ月間トンネル掘削工事を行っている間にガソリン・スタンドから漏れたガソリンによって汚染された土壌からの化学ヒュームに曝露した77人の未熟練土木作業員について述べている。
最初にガソリンの匂いがすると告げられた後、2ヵ月後に作業員たちは、頭痛、めまい、目と喉の痛み、咳を訴え始めた。
トンネンル内の空気中から60ppmのベンゼン濃度が検出された。
そこで作業は停止し、トンネンルは閉じられた。
トンネンル中の全ての化学ヒュームの信頼性ある測定は行われなかった。
任意に選ばれた30人が2回、検査を受けた。
この事件の直後、及び10~13ヵ月後に10人の作業者がMCS基準を満たす症状を起こした時である。
10人の内2人は以前に化学ヒュームに曝露したことがあり、残りの8人はこのトンネル事故より前に症状を経験したことはなかった(検査を受けたトンネル工事作業者30人の26,7%)。
作業者らには頻繁には症状は出ず(少なくとも週1回)、他のMCS患者のグループよりも短い期間であった。
しかし症状はMCSに似ており、中枢神経系、呼吸器系、筋肉、じん帯と関節、胃腸系、等のいくつかの器官にその症状が出た。
症状のために仕事を辞めなくてはならない人はいなかった。
2回目の検査を受けた時、彼等の大部分は働き続けていた。
作業者らは最初の症状を経験した時に、誰もMCSについて知らなかったという点で、作業者らの集団はMCSに関して通常とは異なっていた。
彼等は臨床環境医師の検査を受けなかった。
ほとんど実験のような曝露状況であったため、この調査は興味深い。
以前に曝露し急性中毒に罹ったことのあるわずかの人々だけがMCSになった。
4.1.2 プラスチックへの曝露によるMCS
アメリカの航空機製造工場で、新しいプラスチック製の製品が導入された時に、50~75人の作業者が急に病気になった。
症状は急性溶剤中毒として知られているものとよく似ていた。
その製品は、フェノール、ホルムアルデヒド、メチルエチルケトンを含んでいることが分かり、工場内でその濃度が測定されたが、限界値以下であった。
12人の作業者が、毎日の職場環境で経験している様々な匂いのために、永続性の症状に悩まされた。
専門家委員会が彼等を調べたが、彼等の症状を説明する他の病気を見つけることができなかった(Simon, 1990)。
4.2 農薬への曝露によるMCS
アシュフォードとミラー(1998)によれば、有機リン系及びカルバミン酸系殺虫剤はいくつかの調査でMCSの可能性ある原因として強調されてきた。
はじめは典型的な急性中毒であり、時には中枢神経の中毒による慢性症状を伴うことがあり、後にMCSの定義に対応して、いくつかの器官で広範な症状が出る。
アメリカのMCS被害者の患者組織によれば、6800人の会員の80%は自分たちがいつ、どのようにして、どのような物質によって具合が悪くなったか知っている。
60%の会員は、最初に具合が悪くなったのは殺虫剤に曝露した後である(Ashford & Miller, 1998)。
タバショー(1966)は、有機リン急性中毒になったカリフォルニアの114人の農場労働者について報告した。
これらのうちある人々は後にMCS様の症状になった。
中毒してから3年後に22人が殺虫剤と有機溶剤に接触すると気分がすぐれなくなると訴えた。
6人が症状が原因で仕事を辞めた。残りの人たちは仕事で殺虫剤を避けるよう試みた。
最初の集団の内の61人は追跡することができず、彼等のうち何人くらいがMCSのために地域を去ったのか不明である。
コーン(1992)は、ホテルで250人の客がゴキブリ用のカルバミン酸系殺虫剤、プロポキスル(propoxur)に曝露した話を述べている。
多くの客は直ぐに中毒の急性症状を示したが19人は永続性の症状を訴えた。彼等は産業医療の病院で発症後5~15ヶ月間、診察を受けた。
彼等のうち12人は、ホテルに滞在する前には何も問題がなかった香水、ガソリン、新聞の印刷インク、様々な洗剤、殺虫剤、そして溶剤ベースの製品による匂いに過敏になったと訴えた。
ヨーロッパの8カ国(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、イギリス、ドイツ、ベルギー、オランダ、ギリシャ)における殺虫剤中毒-そのほとんどは職場環境で発生している-がEUの報告書(1994)に記述されている。
ドイツではピレスロイド系殺虫剤で急性中毒になった23人中8人が後に、カレン基準に対応したMCS症状になった。
これらの人々は臨床検査と研究所でのテストの結果、正常であった(European report, 1994)。
4.2.1 デンマークの現状
庭師、その他の殺虫剤急性中毒のいくつかの症例がデンマークで報告されている(Lander, 2000)。
被害者がMCS基準を満たしているかどうかを示す体系的な調査は行われていない。
ランダーによれば、少人数が温室で殺虫剤を散布する時に匂いに悩まされる。
症状の原因は、殺虫剤に添加されていた芳香性警告物質のためであった(Lander, pers. Com., 2001)。
殺虫剤はMCSに関連して最もしばしば言及される化学物質であるアメリカでの状況とは異なり、デンマークでは殺虫剤を個人が家庭で使うことはあまりなく、従って、使用されるのはほとんど屋外である。