その9:第9部:化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査報告書 | 化学物質過敏症 runのブログ

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このように、予見義務の対象(および予見可能性)の柔軟化・抽象化の意味については、刑事責任を問う刑事過失論の領域では両論がある(後者が多数と目される)。

以上の点を踏まえて、民事過失論の領域に戻れば、これまでの民事過失論の展開が危険責任・報償責任の原理を取り込んだ過失の高度化の流れにある点に着目すれば、こうした柔軟化・抽象化の方向と、民事過失論の展開の間には、基本的に親和性がある。

もっとも、「中間項」の考え方を採ったうえでさらにこれを抽象化するのか、それとも、具体的な結果実現およびそれに至る過程の予見を求めたうえで、しかし、その予見の程度について抽象化を認めるのかで、民事過失の領域でも、理論的および結論面で違いが出てきうる。

少なくとも、民事過失については、不法行為法の制度目的、さらに過失を責任要件とすることの目的に照らせば、(潜在的)被害者の(潜在的)権利・利益を保護するために行為者側の権利(行動の自由)を制約することを正当化する際に、保護の対象である権利・利益をはずして「中間項」を予見の対象とすることは、説得力が乏しいように思われる。
そうなると、結局、ここでの問題は、化学物質または化学物質を含む素材を扱う行為者に関して、具体的な結果実現およびそれに至る過程の予見をどの程度まで抽象的に把握することが許されるかにある。
この点に関して、類似事例を扱った裁判例は、相当程度まで、抽象化を推し進めている。
熊本水俣病事件(第一次)では、「被告は、その生産活動に伴い水俣工場より廃液を放出する場合には、事前に右廃液の動植物や人体に対する影響の有無を科学的に調査確認の上、廃水処理の対策を講じ、有害または安全性に疑いがあるときは、これを防止するために必要な手段を講じて、廃液の放出による危害を未然に防止する高度の注意義務があったというべきである。」とされた30。

しかも、同判決では、予見可能性の対象についても、次のような興味深い説明がされている。
「原告と被告の過失論には次の如き根本的な考え方の相違がある。
予見可能性の対象は、工場汚悪水による他人の法益侵害なのか、それともメチル水銀による水俣病の発生なのか。
原告は前者の立場に立つ。

工場汚悪水の放出が許されるのは、その安全性が確証される状況の下でなければならない。
これが、原告第二準備書面第一の過失論の基礎にある考え方である。

廃液の調査義務もこの考え方から導かれる。

また結果認識可能性を水俣病という限定された結果の認識可能性でなく、他人の法益侵害についてで足るとするのも同じ考え方に由来する。

水俣病が工場廃液中のいかなる物質によりいかなるプロセスをたどって発生するかを、科学的に認識し得たか否かは、科学の問題であって法律ないし裁判の問題ではない。

法律上は工場廃液が他人の法益を侵害することと予見しえたことで足りるのである。

しかるに被告はあえて前記後者の立場を固執する。
*頁。
29 山口厚『刑法総論[補訂版]』(有斐閣、2005 年)205 頁以下。
30 熊本地判昭和48 年3 月20 日判時696 号15 頁。*