[4]心理学的機序
ア)条件反射(パブロフの条件反射説)
古典的なパブロフの条件反射説の背景にある機序に類似したものとして、身体症
状が作用への応答として生じるが、通常はそのような症状は出ない。多くの人々は、
この機序がMCS 主要な原因であるという意見を持っている。これは、症状が化学
物質への曝露の結果として、例えば事故に関連して、症状が起きる時に、特に明白
である(Siegel, 1997)。
これはデンマークでの状況に対応しており、そこではほとんどのMCS 症例は産
業医療病院から報告される。慢性的溶剤中毒を持った多くのデンマークの患者は、
恐らくある程度は外傷性(トラウマ的)出来事として、複数の中毒体験を持ってい
る。
産業医カレン(1992)は溶剤に曝露した人々のMCS を条件反射であるとは考え
ていない。
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トラウマ的小児期の体験(例えば身体的及び性的虐待)が原因又は促進要素とし
て強調されている。ひとつの調査が、化学物質過敏症患者の60%は小児期にそのような経験を持っており、その心理療法がMCS症状を軽減したということを示した。
このことが、トラウマ的出来事に関連して体験した匂いが条件反射の引き金となり得るという仮説を生み出した(Staudenmayer, 1993)。
この調査はいくつかの弱点を持っている。例えば患者の選定基準が不明確であり、そのことが結論を弱める。
この仮説はその後さらに調査されることはなかった。
他の研究は、多種器官症状を持つ多くの人々が小児期に虐待を受けたということ、そして、激しい言葉による攻撃を受けた人々は、そうでない人々に比べてよりしばしば、軽度の症状を訴えるということを示している(Pennebaker, 1994)。
心理療法がそのような患者の助けになるということは、原因仮説の間接的な証明としてあげることができる(Staudenmayer, 1993)。
条件反射を用いた方法によって、ベルギーの研究者グループは、健康な人たちに匂い関連の症状を作り出し、後でその症状をなくすことができた(Van den Bergh,1999)。著者はMCS の機序は、少なくともその一部はパブロフの条件反射説で説明できると結論付けた。
イ)心因性要素
MCS の多くの人々は不安や鬱を訴えることは明らかであり、多くの人々はこのことがMCS の原因が心因性であることを示していると考える。
多くの人々が、医師又はセラピストが患者の病気の症状と概念を進展させ継続させる”医原性(訳注:医師の診断、治療によって生じた)”モデルに言及している(Black, 1995)。
あるグループの人々は匂いの曝露テストを受け、それらの強度と症状及び経験した不快感が記録された。曝露に先立ち、対象者の全ては匂いに関する説明を受けた。
ひとつのグループは否定的な説明を受け、他のグループは肯定的又は中立的な説明を受けた。
最初のグループは、匂いは強く不快感と健康不良を訴えたが、他のグループには同じことは起きなかった(Dalton, 2000; Hummel, 1996)。
環境病を持つ人々のグループに対する多くの調査は、これらのグループの人々は、そうでない人々よりもしばしば、人格障害、鬱と不安症状、及び、身体的及び心気症的症状になりやすいということを示している。
それらの全ては、これらの人々は隠された感情的問題を抱えているかもしれないということを示している(Black,1993)。
一方、匂い過敏症(悪臭症(cacosmia))が増進した人々は不安を感じたり、鬱になりやすい(Ashford & Miller, 1998)。
人格的要素がMCS の機序に関係しているかもしれない。
ストレスのある環境では女性は男性に比べてより早く身体的症状を進展させやすい。
慢性不安の経験ある人は全て抑圧感を持ち、不快感と健康不良を感じる。
これらの要素はまた、環境病を含む他の病気に関連して言及されている。これらの要素はおそらく、MCS の病原論の背後で精神身体的要素として重要である。
レズノフ( 2000 ) は、MCS 患者が引き金物質に曝露した時に過換気症
(hyperventilation)を伴う恐怖反応の典型的兆候を観察した。
彼は、MCS に関連するいくつかの引き金症状は過換気状態の間に脳を循環する血流中の生理学的反応によって説明することができるという事実に言及している。
環境病の患者13 人中7人は、病気になる前に不安及び鬱を経験していた(Simon, 1990)。
職業誘発環境病の補償を求めて提訴している90 人中38 人の中に(62 人は多種症状)、鬱、不安、ストレス、精神身体的症状のような精神医学的診断が見られた。何人かは複数の診断があった。
しかし、彼等が環境病になる前は、誰も精神医学的診断を持たなかった(Terr, 1989)。
精神医学的診断の数及び分類は報告されなかった。
フィードラー(1996)は、彼女の患者の中で発生する精神医学的診断の頻度を折々に調査した。
36 人のMCS 又は化学物質過敏症(CS)と18 人のコントロールからなる調査で、その36 人のうちの何人かは精神医学的病気を持っていたか過去に持ったことがあった。
しかし、36 人の内の半分以上は精神医学的診断を持ったことがなかった。MCS、CS 又は慢性疲労症候群(CFS)の96 人及びコントロール・グループは神経生理学及び標準化された神経医学テストを受けた。
精神医学的病気を示す異常なテスト結果が、コントロールグループより、MCS、CS 及び慢性疲労症候群(CFS)の3 つのグループの中に多く見られた。
しかし、MCS 患者の74%、CS患者の38%、及びCFS 患者の61%は正常なテスト結果であった。
MCS の出現に関連して心因性の問題の重要性に関する10 の調査のうち9 つに、8 つの横断的調査における原因と原因関連の混同を含む、大きな方法論的問題が発見された(Davidoff, 1994)。
1166 人のMCS テストを実施したもっと最近の調査では、クツオギアニスとダビドフ(2001)は、心理学上の要素は他と比べて、MCS基準を満たす人々の中で特に多いということはないことを見出した。
[5]身体化症候群
MCS を含む環境病としてしばしば引用される身体化症候群は精神身体の機序に基づいている。
反応のパターンは、全てを外部因子を持った病気に結びつけようとする我々の中の傾向に関連しているが、我々の多くは、ストレスに曝されたり人格的問題抱えたり、あるいは不安になったり、鬱になった時に、ひとつ又は他の形で(頭痛、疲労、不眠、筋肉痛、など)潜在的に身体化症状を進展させる傾向がある。
この反応のパターンの国際的な名前は Individual Determined Response(IDR)[3]である。
最近発行された環境と産業医学に関する教科書の中で、ラスムッセンとヒルデブランド-エリックセン(2001)は、匂い過敏症のデンマークの経験を述べているが、それは他の環境的に決定される身体化症と同一のグループに分類するものである。
著者は、この病気は患者の人格構造と患者の身体的及び社会的環境における要素との間の相互作用によって決定される病気として考えている。
彼等はまた、刺激物質に急性過度曝露した場合には、パブロフの条件反射説のような条件反射を可能性ある寄与要素と見なしている。
著者はまた、”(前略)例えば毒性脳障害のような神経系に損傷を持つ人々は、有機溶剤及び一般的に非神経毒化学物質に対する強度の過敏性を経験する。
我々は多分、健康な人々にはない、他の機序を取り扱っている。”
従って、著者等は匂い過敏症を身体化障害と同じグループに分類し、一方、溶剤への曝露による症状を持つ人々に起こる時には、他の病気機序がMCS の背後にあるのではないかと考えている。後者の患者グループに関連する仮定の病気機序は詳しく述べられていない。
[6]毒性誘因耐性消失(TILT)
ミラー(1997)によって展開された毒性誘因耐性消失(TILT)に関連する仮説は、出発点として非常に低い濃度で応答が引き起こされるのは、外部刺激に対する自然の耐性の弱体又は除去(例えば、ある器官の防御機序の弱体化であり、糖尿病患者の砂糖に対する耐性低下に似ている)であるとしている。
この理論は、耐性の弱体又は消失に関連する新たな病気の概念に基づくものである。
ミラーはまた、この機序を偏頭痛のような他の病気の原因であるとも考えている。TILT は引き金物質がより低濃度で応答を誘発するようになるので、耐性の変化の定義は薬物の誤用に関連する耐性の変化の逆である。耐性の消失の背後にある機序は神経感作に基づいている。
MCS の原因としてのTILT は、2 段階で進展する。
第1段階は化学物質(選ぶべきは殺虫剤、有機溶剤、又は屋内VOC)への曝露である。曝露した全ての人々が耐性を消失するわけではない。
ある人々に対しては最初の曝露の後の症状は永久には進展せず、回復する。
他のもっと感じやすい人々が耐性の弱体/消失を進展する。
同じ又は他の化学物質又は物質に非常に低濃度で曝露する第2段階の間に、様々な器官がいわゆる”引き金応答(trigger response)”を伴って反応する。
異なる物質が異なる応答を生成する(例えば、ディーゼル・ヒュームは頭痛、食品香料は集中力低下、香水は吐き気、等)。
日々のいくつかの曝露は、いくつかの器官に重複する症状を生成し、症状と引き金物質との間の関係を見出すことが不可能になる(マスキング)。
長期間にわたるいくつかの引き金物質への曝露により症状は永続する。
この状態は新たな引き金物質への継続的な曝露によって保持される(習慣作用)。
ミラーは、マスキングと習慣作用を考慮に入れて、刺激チャンバー(provocationchamber)の中でテストをすることにより診断を行った。
刺激テストを実施する前に、患者は引き金物質を取り除かれなくてはならない。
[7]臨床環境医学に基づく病気のモデル
このモデルはある概念と定義を用いるが、それらはほとんどの科学者と研究者にはよく知られておらず、通常、彼等の研究には使用されない。
臨床環境医師らはこのモデルと概念をMCS やその他の環境病の背後にある原因論のより良い理解を提供するものと見なしている(Rea, 1992)。
全体論的(holistic)思考に立つMCS を含む環境病の病気モデルによれば、過敏性の人々の多くの病気は、体の生物学的システムのひとつあるいはそれ以上の機能不全に基づいている。
”環境刺激(environmental stressor)”に対する防御反応の一部として、解毒のひとつの形として記述される不均衡が体内のホメオシスタス(訳注:homeostasis 生物体が体内環境を一定範囲に保つはたらき)に生じ、身体の器官から反応が起きる。
不均衡の機序は防御酵素システム又はビタミン、微量元素(訳注:生物にとって微量であるが必須な金属類)等の欠乏によって引き起こされる。器官からの反応が症状を生成する。
防御機序はいくつかの側面を持ち、個人の感受性、応答のパターン、及び、器官の適応に基づいている(AAEM, 1992)。
このモデルを記述するために下記の概念が用いられる。
全負荷:所定の時間、人が曝露する全外部環境”刺激”の合計。
適応:ヒトの体がホメオシスタスを保とうとするはたらき。
適応不全:後天的/遺伝的要素により、身体の生物学的機序に過負荷がかかり、多分、弱体化されて、ホメオシスタスを維持できなくなる。
結果として病気になる。
適応復帰:身体が過負荷の原因物質を中和/除去できる時に、適応不全が適応に復帰する。
二極応答:外部環境要素によって引き起こされる刺激-非刺激として表現される身体の動的な二段階応答が、なぜ応答のパターンの変化が環境症候群中に見られるのかを説明する。
拡散現象:以前には反応のなかった新たな器官において、同じく以前には急性症状-慢性過敏症の進展を起こさなかった物質によって、急性-慢性の過敏症が進展すること(適応不全を参照)。
転移現象:ひとつの器官から他の器官への症状の転移。
個人感受性:ひとつの物質に過敏な人々のグループの中で、個人が反応し自身のやり方で症状を表現する。
グループの人々によって示された同じ症状が異なる原因を持つ。
(各自は自分が過敏となる物質の個人”リスト”
を持つ)。
刺激(Incitant):アレルギーと非特定過敏性に関する引き金物質又は症状の原因。
環境刺激:過敏性の人のホメオシスタスを不安定にするそれぞれの物質又は刺激。
ホメオシスタス:全ての身体機能が相互バランスの状態にある。
臨床環境医師による調査と研究の全ての記述は上記にリストされた原則に基づく。
病気は非常に特定な器官と酵素の機能及び代謝プロセス(例えば、グルタチオン代謝)の測定によって、及び、様々な微量元素の欠乏によって文書化される。
そのような測定の正確な標準値は一般臨床医学には存在しない。
ロストクにあるアンビュランツ(環境医学病の診断治療センター)の部長であるククリンスキー博士(2001)は、ほとんどの医師は上述の事実についての知識がなく、従って、MCS のような病気を診断することができないという意見である。
全体論的(holistic)病気モデルが病気の原因論中に含まれている心理学的要素の可能性を含んでいないということは驚くべきことである。
「多種化学物質過敏症に関する報告書」(2005、デンマーク環境保護局)を引用
runより:これで第二部終了です、心理学的機序で終わるのは避けたかったのですが続けると長くなるのでやむなしです。