・出展;国立環境研究所
http://www.nies.go.jp/index-j.html
シリーズ政策対応型調査・研究:「化学物質環境リスクに関する調査・研究」から
有害化学物質に対する暴露指標と感受性要因に関する研究
平野靖史郎
ヒ素化合物の暴露指標
有害物質の健康リスク評価を行うためには,まず対象とする有害物質の暴露量を可能な限り正確に把握する必要がある。
暴露量の把握には,地域における有害物質濃度の測定値を用いる場合や,個人サンプラーなどを用いて対象者の暴露濃度を直接モニターする場合がある。
前者は,簡便であるが代表値を用いているため,職業性の暴露も考えられる物質を対象とする場合や,生活習慣の違いにより暴露濃度がかなり大きく変化する場合などは正確な暴露量が把握できないばかりでなく,誤った結論を導く場合もある。
後者は,個人の暴露量を直接反映してはいるが,コストがかかり,被験者に負担をかけるほか長期のモニタリングには適さない。
これに対し,被験者の毛髪や尿などの生体サンプル中の有害物質,あるいはその代謝物を測定することにより対象とする有害物質の暴露量を推定する方法がある。
これは,一種のバイオマーカーの測定でもあるが,定量した対象物質量は,環境中の濃度を測定する方法に比べてより個人の暴露状況を反映している。ここでは,ヒ素化合物を例にしての有害化学物質の暴露指標研究の取り組みについて説明する。
ヒ素は海産物にも多く含まれているが,それらの多くはアルセノベタインと呼ばれるほとんど無毒のヒ素化合物である。
一方,和歌山カレー事件で問題となった亜ヒ酸(3価の無機ヒ素)や,中国,インド,バングラディッシュや南米で環境汚染を起こし,途上国最大の環境問題の一つにもなっているヒ酸(5価の無機ヒ素)は,発癌も含む多臓器疾患を起こすことが知られている毒物である。生体内に吸収された3価や5価の無機ヒ素はメチル化され,主としてジメチルアルシン酸として体外に排泄される(図1)。
モノメチルアルソン酸やジメチルアルシン酸など,メチル化された5価のヒ素は毒性が低く,メチル化は生体における解毒機構と考えられてきた。
ところが,それらの中間体でもある3価のヒ素のメチル,あるいはジメチル体が非常に低濃度でDNA傷害などを起こすことから,最近では,メチル化は無機ヒ素の解毒というよりは,むしろ代謝活性化のプロセスと考えられ始めている。
我々も,慢性ヒ素中毒症が多発している中国ヒ素汚染地区における尿や毛髪のサンプリングを実施し,ヒ素の形態分析を実施している。
図2(A)は,汚染地区住民の尿中ヒ素を高速液体クロマトグラフを装着したプラズマ発光質量分析計を用いて分析した結果であるが,無機ヒ素の暴露指標であるジメチルアルシン酸が主たる尿中代謝物である。
一方,図2(B)は,私自身の尿中ヒ素の分析結果であるが,全ヒ素濃度は汚染地区住民の値と大きく変わらないものの,尿中のヒ素は主として海産物由来と考えられる無毒のアルセノベタインであった。
したがって,尿中のジメチルアルシン酸は,有害である無機ヒ素の暴露バイオマーカーとなる。
しかし,生体内においてどの様にヒ素がメチル化されるか,また,3価のメチル化ヒ素がなぜヒ素の毒性の本態と考えられるほどの強い生体作用を持つかなど不明な点が多く,基礎的研究も含め,ヒ素の代謝物に関して精力的に仕事を進めているところである。
図 1.ヒトや齧歯類におけるヒ素の代謝
図 2.ヒ素汚染地区住民(A)と非汚染地区の日本人(B)における尿中ヒ素の排泄パターン