化学物質過敏症になって5年間稼ぎが悪いと烙印を押されながらも働けたのは意地と経験でした。
化学物質過敏症発症直後に1人目の子を妊娠。
妊娠3ヶ月で仕事を辞めてしまったので意地でも働くしかなかった。
この時活きた経験は塗装です、防毒マスクを買いやばい時はすぐ着用してました。
しかし職場では変人を見る様な顔をされたもんです。
休みがちな私がクビにならなかったのも経験が活きました。
機械屋で働いた事があり機械に強かったので機械を理解して効率重視で独自のやり方でベスト5に入る成績を出していたのです。
端から見るとのんびりやっている様に見えても数が上がる。
計算しつくした上での闘いでした。
しかし「もっと真面目にやればもっと数上がるだろ」が評価。
そして不況で人が減った分増える仕事。
3年で3回入院する程頑張ったつもりでしたが化学物質過敏症を理解できない人達との軋轢が深まるばかりでした。
防塵服にダウニー使う人、香水つけてくる人、どれだけ説明してもダメでした。
ここまでの5年間喘息の注射だけで耐えました、化学物質アレルギーにも効果があったのです。
しかし限界を超える日が来てしまいました。
それから1年・・・やっと専門病院に行き治療開始。
今は回復しつつある体と化学物質過敏症が争っています。
運動すると痛む体・・・それでも運動する、薬で抑えながら。