「何をどう食べようと、個人の自由だ。なぜ私的なことに国が口出しするのか」。
食育基本法については、そんな疑問の声もある。
「そうじゃない。もはや、個人レベルの問題ではないんです」。
長崎大学環境科学部で「食を変えるプログラム」を研究する中村修助教授(48)は、基本法が求められた背景をこう説明する。
かつて、人類の存在を脅かしたのは飢餓であり、赤痢やコレラなどの感染症だった。
これに対し、先進国ではワクチンや栄養改善、衛生管理の徹底といった武器を手にすることで闘いに勝利した。
そして、次に現れたのが姿の見えない敵。便利で豊かな食と暮らしが主因とされる肥満症、高血圧、糖尿病、高脂血症など、別名“緩慢たる自殺”ともいわれる生活習慣病だ。
わが国の糖尿病や、その予備軍の数は2002年、1620万人(厚労省調査)に達した。
実に、成人男子の27%が肥満に悩んでいる。
子どもとて、無縁ではない。00年、高松市が小学4年生に行った血液検査で、20%が高脂血症、16%に肝障害があるという恐るべき結果が出た。
このままいけば、国の一般会計予算の4割にも匹敵する総額31兆円(03年度)の国民医療費はさらに膨張。個人のリスクを増やすとともに、行政の財政を圧迫し、社会の仕組み自体を変えてしまうだろう。
私たちは何をもって、この難敵と闘うのか。
「それは教育しかない。ビジネスありきではなく、明確な目的を持った食育、大人から子どもまで対象にした食育が求められている」。中村助教授は、力を込める。
長崎県佐世保市の新田(しんでん)保育園。
給食を食べ終わった園児は食器を流し台まで運び、トレーは自分の手で洗う。
「それがこの園の伝統です」と話す保育士の山内千賀子さん(37)には、忘れられない言葉がある。
園では毎年6月、近くの畑でゴボウ掘りを体験する。
地面に湿り気があると簡単に抜けるが、好天が続くと、大人でも容易ではない。
まして園児なら、三人がかりで十分以上かけて周囲を掘ったにもかかわらず、途中でポキッと折ってしまうことがある。
そうして掘ったゴボウが給食に出たとき、ある年長児が言った。
「先生、昨日ね、スーパーに行ったとよ。そしたらね、ゴボウが二本で百円やった。あんなにきつか思いしたとに、安かよねー」
「簡単に抜けた方が楽でいい」。
気楽に考えていた山内さんはハッとした。
園児の感性は、苦労して掘ったことを通じて、単なる農作業体験を超えた食育の本質をとらえていたからだ。
「何を食べるかだけじゃだめ。食べ物の向こう側に思いをはせられるような教育をしなければ…」