社説:放射能と健康 追跡調査を早く丁寧に5 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・美談で済まない作業員の今後
 これは、原発の事故処理のために現地に入っている作業員たちについても言えることだ。

 いまは、「国民の命を守るために、放射能汚染の危険を顧みずに働く人々」という美談として伝えられているが、彼らには実際のところ、どの程度、危険性についての情報が知らされているのか。

 東電協力会社の幹部が語る。

「福島第一原発と第二原発では東電が約1800人、関連会社や我々のような協力会社から約9500人の作業員が交代で働いています。

しかし、東電は管理会社のような立場で、実際に現場に行くのは関連会社や協力会社に雇われた人間です。

東電からは必ずしも十分な事前情報があるわけではない。

3月24日に3号機で被曝した関電工の社員たちにしても、彼らがなぜ長靴を履いていなかったのか、放射線量の限界を知らせるアラームが鳴っているのに退避しなかったのかを考えると、十分に危険性を知らされていなかったとしか思えません」

 東電は、この被曝事故の後、事前に1号機の地下に溜まっていた水の放射線量が200ミリシーベルトに達していたのに、それを周知していなかったと発表。その後、一転して事前にはわかっていなかったと訂正した。

命に関わる情報について、会見でもころころ言い分が変わるのだから、立場が弱い協力会社の社員に、正確な情報が伝わっていなかったことは推して知るべしだろう。

 被曝した関電工の社員たちは福島県立医大に運ばれた後、翌25日に千葉の放射線医学総合研究所(放医研)に搬送されたが、その警戒ぶりは尋常ではなかった。

放医研側は事前に、正門付近を立ち入り禁止区域にし、報道陣を完全にシャットアウト。

社員たちが車で到着すると、防護服を着た人々が現れてビニールシートで覆いを作り、隠れるようにして病院内に入っていった。

 当初はベータ線熱傷という放射性物質による皮膚の損傷が疑われたが、28日には退院。

放医研の明石真言・緊急被ばく医療研究センター長は、その日の会見でこう語った。
「今のところ、異状は見受けられない。健康体と言っていい状態だ。病変が出るまで、早い人は数日で変化があるが、通常は2週間程度はみたほうがいいだろう」

 この場合の2週間程度というのは、2~3シーベルトの放射線を浴びたことによる急性被曝の影響が出るまでの期間を指す。関電工の広報担当者によれば、二人の社員はすでに家族の元に戻り、表面上は元気だが、念のため放医研に通院して経過を見る必要があるという。

「放医研はかつてないほど、被曝社員たちの扱いにナーバスになっていました。

放医研では過去に延べ1000名近い放射線被害を受けた原発作業員などを受け入れていますが、たいてい『外部汚染は軽微で、治療の必要な方は皆無』と繰り返してきた。

今回はそれに加えて『健康体と言っていい状態』とまで言っている。

 放医研の医師たちにしても、仮に被曝社員たちに重度の被曝障害があるとなれば、今後の原発事故の処理に大きな影響が出ることはわかっているから、緊張しているようでした。

もちろん、放射線による晩発性障害のことは放医研の医師ならばみんなわかっていますが、誰一人それについては口にしないのも、影響の大きさを考えてのことでしょう」(長年、放医研を取材しているジャーナリスト)

 放医研という専門家集団が将来のリスクについて語っていないのは、政府やテレビに出ている多くの専門家たちの「ただちに人体への影響はない」という言い方と同じだ。