喘息:死闘 | 化学物質過敏症 runのブログ

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喘息になる回数が増えてきた。仕事が出来ない。会社は私をクビにしようとしたが会社が色んな不正をしたからこの現場に来たことを突き止めていた


逆に会社を追い詰めて医療費と3ヶ月の給与保障をさせた


もう飯田市は無理だ・・・駒ヶ根市に移った。座り仕事で目視検査だった。


仕事は楽だが喘息を起こす機会が多くなった・・・50mも歩けず休み休み工場まで行った。


クリーンルームだった為身体の負担は小さかった。多少ゼーゼー言っても頑張った。検定があるのだが優秀でパスして仕事に自信もついた。


しかし・・・この時すでに恐ろしい病気になっている事に気づいてなかった


検査の仕事はミクロン単位の仕事だったが優秀な成績でこなしていた


しかし、段々とミスがあると指摘されてきた。慣れて適当にしたワケじゃないのに見逃している・・・上司はマジメにしろと言う。


少しずつ身体が狂っていった・・・近い物が見えない・・・老眼の状態。


裸眼から1.0の老眼鏡、2.0の老眼鏡、最後は4倍でやっと仕事になるという状態だった。わずか3ヶ月で・・・


この頃にはニオイに過敏に反応していた。化学物質過敏症になっていたのだ


いい仕事だったが辞めざるを得なくなった。会社を移り新しい仕事をした。


顕微鏡なら問題無い、ただ喘息は時々起こした。


タバコを止めていたが彼女が妊娠して仕事は辞められない!


タバコに反応する様になっていたので「あえてタバコを吸う」決断をする


後にこの決断が5年間仕事をさせてくれた事がわかる。


しかし妊娠したからには結婚です。沖縄に帰ったが化学物質過敏症の私が耐えられる仕事は無くやむなく単身静岡へ・・・


新しい地獄の始まりだった。