安藤氏の主張は、概ね次のようになるのではないかと思う。
1)電気は貴重な国力源である。
2)原子力発電施設がテロの標的になる危険性がある。しかし日本は非常時も原則東電任せで米国のような核部隊を持っていない。
3)原発電力の代替エネルギーが確立していない今、原発廃止は慎重であるべき。
4)安全性に関して過敏な反応を示す反原発団体やメディア・世論に圧され、政府・東電はこれまで原発の危険性を言わず、無謬性の病に陥った。
5)原子炉や原子力技術そのものに罪はない。それをいかに操るか、いかに臨むかという人間の問題だ。議論を厭わずに真っ当な原発管理を正面からあくまで追及するべきだった。
6)原発を停めると電力不足が相当厳しい状況になる。浜岡原発の発電力362万キロワットが管首相の人気取りで人為的につぶされたともいえる。
7)日本エネルギー経済研究所の論文によれば原子力発電の再稼働がない場合、「2012年度にかけてわが国の電力需給は電力不足など極めて厳しい状況に直面する」という。
末尾のまとめ)原発が危険なことは思い知らされたが、今の暮らし・国力の維持には当面、原子力発電は不可欠であり必要。原発をめぐるメディアや言論空間に蔓延するいびつかつ潔癖かつ執拗かつ恣意的な病が健全な議論を阻んできたのだ。エモーショナルな判断に流されてはいけない。止めるなら止めるなりの積み重ねが必要。
氏の主張内容にはいくつか問題箇所があると私は思う。
A)浜岡原発は東海地震の想定震源地中央に存在する。その立地の危険性に記事内で触れることなくただ単に362万キロワット失うという点だけを書いている点。
B)福島原発の事故で我々は何を知ったか。福島第一原発が多重防護の観点から非常にお粗末な状態のまま放置されていた点を元IAEA事務次長が厳しく批判している。
(同産経ニュース 【IAEA元事務次長「防止策、東電20年間放置 人災だ」】)であれば、今までの政府・省庁・電力会社による安全評価はいったいなんだったのか。全国の原発の安全評価や審査や点検・修理報告の類もすべからく信用できなくなった。しかしながら、原発を停めることによる電力不足の可能性には言及し、原発を動かす危険性には一切触れていない。現在、全国の原発の安全性は完全に不明。安全審査をゼロからやりなおさねばならない。
したがって我々が声高に叫ぶべき言葉は「電気が必要だから、軽はずみに原発を停止するべきではない」ではなく、
「早急に全国の原発の安全性に関する構造計算の再実施や安全点検や再検査をせよ!そして立地の地質・地盤調査をやりなおせ!」
「中立機関の、物理学・工学的専門家、専門的技術者集団によって再検査・再調査させよ!」という言葉なのではないだろうか?
それらの慎重な分析結果に従い、問題がない原発は運転再開を目指していく。老朽設備・多重防護の不備・地理的危険箇所の危険な原発は安全性確保のための改修を済ませるまでは稼動させない。(立地そのものに問題があるパターンは論外だ。そういった原発は廃炉にするしかないだろう。)
私は、「何が何でも脱原発派」でもなければ「そんなこと言っても原発は必要だ派」でもない。
しかし私は、現在この国土に散在している原発および核関連施設の全ての安全性に不安を持っている。いや、持たされた。東電と政府と経産省、安全・保安院、安全委員会によって。それはきっと、私一人ではないと思う。
そして
東電に美しい福島県を穢された怒りに胸を打ち震わせている人も、また。