マキヲのひとり旅

マキヲのひとり旅

2枚目になれない3枚目4コマ目の自称珍道中

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András Schiff/French Suite for keyboard No. 3 in B minor, BWV 814: Allemande
András Schiff/『Bach: 6 French Suites』

主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中から聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。私は裸ですから」                                                                             
(創世記第三章09-10節)

エデンの園を守っているアダムと女は蛇にそそのかされて、神から禁止されているにも拘らず「善悪の知識の木の果実」を食べてしまいます。
その後の神とアダムとの会話です。アダムの怯えている様子が伺えます。

全能の神は全てをお見通しです。
アダムが果実を食べてしまった経緯も、アダムが神に合わせる顔が無いために隠れていることも、アダムがどこに隠れているのかも当然知っています。

そのうえで、

神は敢えて「どこにいるのか。」とアダムを呼んだのです。
神は愛をもって、アダムと向き合っているのです。

私を含め多くの人々は教会や神社などで祈る時、
神に向かって礼儀正しく振る舞います。
しかし、心の中ではモヤモヤとしたものを抱えています。

そのような私たちは、神と向き合うのに相応しくないと思ってしまいがちです。
しかしながら、むしろ神の方から常に私たちと向き合っていることが読み取れます。

あの東日本大震災から4年が経ちました。
未だに癒えない気持ち、やり切れない思いを抱えている人はいらっしゃることでしょう。

私は、その方々の気持ちを知ること、ましてやその方々の切実な思いについて何かを語ることなどは到底できません。
ただ、先述の聖書の文章を引用して、お伝えしたいことがあります。

どんな気持ちの時でも、神はあなたに向き合い寄り添うのです。

あなたが、疲れたとき、泣きたいとき、理不尽さに苛まれた時、
そのままの気持ちを神にぶつけてみてください。

私は以前、ある方に言われたことがあります。
「神に敬語を使う余裕がない時は、そのまま語り掛ければよい。」と。
神は愛をもって私たちと向き合うことでしょう。

今回のバッハは、フランス組曲第3番ロ短調 BWV814より 第1曲 アルマンドです。
(ちなみに、アルマンドとはフランス語で「ドイツ風」という意味です。)
アンドラーシュ・シフ(ハンガリー出身のピアニスト)の演奏です。
この演奏を聞くと、「優しさに包まれるとはこのような気持ちなのか。」と思わされます。
涙で心が洗われます。