贄の女(37)
「遺伝には優性遺伝と劣性遺伝がある。親の形質は優性な遺伝子を持ったほうがより多く形質を伝えて行くことが出来る。かたやクローン技術では母体の影響を一切受けずに、もとの遺伝子の形をそっくりそのまま再現できるとされている。翻ってこのいきもの、キメラの場合はどうなのだろうか。実はこの生物はとても面白い特性を持っているのだ。これは外形の複製が出来るということなんだ。つまり、父そっくり、或いは母そっくりの子どもを産むんだ。だから母体がキメラである場合、ほぼ100%の確立でオスは父親の形質を、メスは母の形質をそのまま受け継ぐことになる。といっても外観上だけだがね。勿論複製といっても多少の違いは出てくるが、もし形の優れた品種が入ればそれの交配を重ねることでその優れた形質を伝えていくことは可能なんだ。人間が昔から犬や金魚にやっていることと同じだね。ただ、彼らは人間に近い形を持っているということだけが違うんだ。禁断の快楽の一つはそうして美しい人間を作り上げることさ。それには毒の問題をクリアしなければいけない。やはり遺伝の関係で毒性の強い子と殆ど無い子がいるので中には一緒に暮らしていけそうなものもいたようだ。しかし、吐息に毒が含まれていないといっても、その他の所は分からない。この生物に人間に近い姿のものを生んでもらおうと思えば、やはり人間と交わらせなければいけない。でも、交わっている最中に粘膜から毒が伝わって死ぬことも多かったようなんだ。だから、交配は殺してもいいような人間で行わなければならなかった。それも、誰でもいいというわけではない。美しさを保てるようにそれなりの相手でなければならないんだ。だから囚人とかそういったものじゃだめだったんだ。わたしの友人もここで躓いていたんだがね。だが、わたしは毒を抜くことに成功した」
もしかして、まさか、わたしを…そのいきものと…
「まあ、そう気にしなくても檻の中身とは感動のご対面をさせてやるよ。もう少し辛抱するんだな。となれば次はどう繁殖させるかだ。相手がいるからな。そこでわたしは慎重に考えた末、この屋敷にタネを招き入れることにした。キメラに人間の格好をさせて、人間と同じようにこの屋敷に住まわせたのさ。美しさは折り紙つきだからな。一目惚れする奴らが続出してもおかしくない。だが、こっちが狙っている獲物で網にひっかかるような奴はなかなかいなかった。身元が確かで身寄りが無いというのが一番だったのでな。使えない奴を相手には出来ん。
だが、わたしでは年を取りすぎていた。そのときはもう、70近かったからな。たしかに相手は魅力的だった。だが、体がいうことをきかないんだ。やっぱり若い獲物を待つしかない。それに本当に危険が無いのか自分で試すのは怖かったしな。気持ちが焦ってどうしても誰も捕まらない場合は自分で済ませようと考えていたときにちょうどうまい具合に網にひっかかった奴がいた」
一同からくすくす笑う声が聞こえた。わたしは長い時間吊り下げられていることで、体に疲れがたまっていた。もうどうでもいいから、早く話を切り上げて、ここから下ろして欲しかった。この鎖を解かれたら逃げるチャンスも有るだろう。それまでは何とか耐えるしかない。
「彼は窓辺に立つキメラをみて虜になったんだな。年頃の若者なら無理は無い。あれの美しさは群を抜いている。外見だけなら間違い無く大スターになれるだろう。ただし、人間だったらの話だがな。キメラは元来物凄く高い知能を持っているんだ。教えれば教えただけ吸収する。特に若い頃は成長の早い分吸収も凄い。2年で成体になるから言葉だって半年もすれば喋るようになるし、1年を過ぎれば小学生程度の会話なら可能だ。計算能力もあれば、論理的思考も出来る。但し、それは環境が整っていた場合の話だ。自然の中で育ったキメラはやっぱり言葉も喋れないし、計算も出来ない。言い換えれば脳が環境に順応する能力が著しく高いんだ。しかし、体はそうはいかない。理由は分からないが、これだけの能力を持つキメラなのに、そして人間と比べて多産なのに、何故か確認されている個体数は少ないんだ。何故なんだろう。まず、産まれても全てが成獣に育たず、途中で死んでしまうんだ。毒による自家中毒らしいんだがね。それにキメラは毒が有る故に交わると命を落とすと言っただろ。同種間でもそれは作用するらしい。何故毒が有るかは分からないが、恐らく身を守るためじゃないかな。他のどの動物にも順応できるキメラは、それゆえに他の動物から嫌われるんだ。特に人間にね。我々からすれば、自分達を脅かす存在である彼らが増えることは好ましくない。彼らの力を持ってすれば人間に取って代わることも出来るからね。だから、キメラは狩られたんだよ。そしてその虜になった一部の者たちが密かにそれを飼った。このいきものの美しさはとても絶滅させるにしのびなかったからね。だが、それをしようとした多くの者たちは毒のために命を落とした。それは彼らがキメラに対して余りにも無知で自分たちの常識だけで判断しようとしたからだ。それでも何とかキメラの飼育法を工夫して見つけ出した先人達によってキメラは細々と伝えられていたんだ。相変わらず、問題はキメラの毒性だった。だが、わたしはついにキメラを無毒化する方法とその検証方法を編み出した。ある種の人間がキメラにとって有効なタネになることも発見した。普通なら死ぬような毒でも平気で受け付けるタイプの人間も存在するのさ。
そこで、わたしは屋敷を訪れるものの中からついに最適なキメラの花婿を見つけたんだ。彼は運転手としてこの屋敷に雇われたが、彼の目的がキメラにあることはわかっていた。いつもキメラのいた窓ばかりちらちらと見ていたからな。彼の能力は申し分無かったし、彼の経歴もすばらしかった。生物学全般に対する造詣も深く、彼自身大学で助手をやっていたこともあり、わたしの研究を手伝ってもらうこともできた。それに身寄りが無いのが気に入った。万が一彼が死んでも誰も気づかないだろうしな」
ひどいおやじだなあ、という声が聞こえた。見れば羽佐間さんがくすくす笑っている。
「わたしは彼に手伝ってもらうことに決めた。助手として、そしてタネとして。体質的にも問題無かったし、彼も若さをもてあましていたからな。そこで、わたしは彼にクリスマスプレゼントとして、キメラのいる部屋の鍵をプレゼントしたんだ。彼は立派に役割を果たしたよ。そのどちらにもね。ねえ、羽佐間君」
こんなところでいきなり話を振らないで下さいよう、と羽佐間さんが恥ずかしがる。じゃあ、あの日記は雨宮が書いたものではなかったのか