オレ達の仕事は毎日がドラマで突然に一日の内でもハプニングで毎時間
新たに出来た予定と調整しながらやりくりしているのが日常なのです。
出産や死と直面し待った無しの生活で自然の成り行き任せといった具合です。
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ビジネスにおいても
嫁は・・計画性がないとか・・・
計算が出来ないと小言を言うが、大自然を相手に机上の計算通りには行くまい!
万葉集や古事記、日本書紀などで一番使われているのが
「なりゆき」の「なる」と言う言葉だと学生時代の神道の授業で聞いた事がある。
実がなる。神が宿る、「なる」ということはオレ達の合理性ではとらえられない変化なのだ。
農耕民族であった日本人の祖先は
稲が生(な)る言うことも拝みたいほどスゴイありがたいことで「お稲荷さま」と言う言葉を作った。
時の過ぎるとともに思わぬ状況になる。
予断を持たず成り行きをよく見る。
この予断を持たずと言うところが嫁には理解できないようだ・・・!
その辺が「計画性がないとか」・・・「計算が出来ない」と言うところに繋がっていくのだ。
キャパシティーが少ないと言うわけでも無いと思うのだけれど・・
大切なことは新たに出てきた事に対してどう対処するか・・・
言葉の意味から武士道に置き換えてみると「どう仕合わせるか?」
刀を持って向き合っていると想像して下さい。
相手の出方を予測している時と予測してない時とどちらが強いでしょうか!
何も予測していなければ相手の動きに即応じられる。
予測していて予測と違った行動に出られたら、戸惑いが生まれ隙に繋がる。
将棋の阪田三吉が端歩を突いたと歌にあるように
勝負の世界では当たり前の心構えであるが・・・
嫁は勝負師で無いから、まず理解できないだろう!
嫁に貰う時に「しあわせ」にするって約束したっていつも言うけれど
嫁の言っている「しあわせ」は「しあわせ」でナイのだ
和語では幸せと幸福とはかなり違う。
「しあわせ」は奈良時代に「為合」と言う字を当てたのが始まりらしいです。
自然や天上が相手だから殆んど運命の意味だったと・・・。
自然を制御下に置こうとする西洋と違って自然は手に負えないものと分かっていたから
なんとかやりくりしながら自然を尊敬して付き合っていました。
室町時代には「仕合」となります。
人対人の話になってきて相手の人に対してどう「しあわせ」るか。
そして明治以降英語のハピネスを幸福と訳して幸せと呼ぶようになった。
幸福の特徴は見えて計量化出来ることなのです。
資産の量、便利さ、快適さ、ブランド品を身に付けて、
シャネルの口紅105番か10月26日発売だからと目を輝かしたり
美酒美食に溺れて現代の幸福(ハピネス)と思うことと
オレの言う日本古来の「しあわせ」と現代の幸福(ハピネス)はこの時点でずいぶんと変わった

手紙が通信手段だった頃には1週間は返事を待てました。
ファックスが普及すると翌日には返事が来ないとムッとしたり心配したり
パソコンのメールになったらその日の内に返事かが無いとイライラするし
携帯のメールなら2時間が限度でしよう!
いつの間にか1週間待てたオレが2時間しか待てないオレに変わっている。
便利なものが一つ増えるごとに心が変わっていく・・・
オレの小さい時はタライに洗濯板でゴシゴシ洗濯をしていた・・・
洗濯機が出来て・・全自動洗濯機になれば・・・
それは大変な仕事から解放されて・・・だけど全自動洗濯で便利になり得た時間は直ぐに無くなる。
ものが少しでも巧くやろうという気持ち芽生えさせる事で「しあわせ」感は増えてこない。
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オレ流の考えではオレ自身、善も悪も同居している状況の変化で
揺れ動く複雑な存在であると分析しているのであるが
全なる神の一部を人間の個性としてそれを伸ばそうと言う西洋型の人格感には限界があると思う。
哲学を説くオレと呑んでくだまくオレと「本当のオレ」なんて無い!
それなのに現代人には理解できる本当の自分がいると思い込んでいる。
オレ自身、人生において先読みにたけていると自負していたのだけれど浅はかでした!
本当に未来の事など誰にも分からないのです。
計画とか目標とかいうのは未来に対してのある種の予断です!
新たな条件が加わればシュミレーションは崩れます。
近年グローバル化された情報網の中で起こる崩れ現象は
想定外の津波のようにすべて根こそぎシュミレーションを裏切ります。
現代人の思考は経済、すなわち金や数字になっている。
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たとえば福祉などの問題でも要介護度を数字で表すなんてナンセンスなことを
平気で福祉の専門家が議員立法化してしまった・・・・
介護福祉士の資格を持っている息子も以前福祉関係の仕事に従事していたのですが
要介護度なんて相手によって変わるはずです。
きっと気の合う人なら要介護度は下がるでしょう。
でも、要介護度を決めないと予算が立てられない。・・・そうなのですが、そうなのでしょうか?
最近の厳しい労働環境を見ていても経営者は数字を見るばかりで人を見ていない。
経営者は計画を立てて予算を立てたがっている。
人情とか数字以前のものを見る・・今の世ではそのような経営がなりたたないのだろうか・・?
いろんな矛盾と低賃金で悩んだ末、高給の数字の世界、経理の仕事に方向転換しちゃいました。
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独身貴族の仲間入りして 今日も熊川哲也さんの5年ぶり上演を見に行くって出かけました。
ちらっと耳にしたのだけれど友達はバレリーナー?
小さい時から今もバレーをしている?
まぁ・・・息子の友達
の詮索は別にしないけれど

バレーなどに興味のなかった息子がバレーの公演に・・・・
ウソだろう・・・チケットは
友達が手配して持ってきてくれる・・そんな息子には幸福論より
現実そのものが幸せなのだろう。
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この歳になっても ふとノンビリできるゆとりの時間に浸ると「しあわせ」とはと考えてしまうのだ。
オレと付き合っているワンちゃんのオーナーさんには判ると思うが
オレ自身、今の世ではそのような経営がなりたたない経営をしているから
縁とか人情のお付き合いを大切に考えているから
数字はあまり考えないので
あと経営は何年大丈夫ですか?・・て訪ねられたら何て答えられるか・・・ガハハハハハハ
ボジティブなオレだから大丈夫だと返事するだろうが・・
「分からない!」・・が本音だろう。
獣医に、この癌に罹ったワンちゃん後何年大丈夫ですかって尋ねて
平均値を聞いて安心する・・・または絶望する。
不安だからと求められて出てきた未来にどれほどの意味があるというのだろうか?
平均的な寿命ってなんだろう?
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人情もなにもない・・・
欧米化を見習って企業が変わったから・・
企業がクローバル化の経済の中で大きくなるために社員より株主を大切に考えたから
日本本来の社員は家族であるから社員を一生守り運命を共に分かち合うという事より
欧米のドライな社員は歯車の一つで部品は交換できるという考えに効率だけの数字に流れたから
資本を提供してくれる株主こそ大切なのだとして
日本本来の企業の労使関係のあり方を変えてしまったことに他ならない。
働きづらいと思いますよ!
目標を持って生きる事が正しいとされ過ぎているのではナイでしょうか?
オレがいい加減に生きろと薦めていると言う事でもナイのだが・・・
日本古来の「しあわせ」を求め
今を無心に生きる・・・
今を生きる無心こそが幸せなのだと思いませんか・・
人の思いようで幸せにはなれるが
これでもかと現代の幸福(ハピネス)をいくら求めても幸せと程遠い結果に・・・
現代の幸福(ハピネス)にはこれで良いという欲望の終わりがないから
だけど煩悩のオレはやはり今年も無心になれず先を読もうとシュミレーションしながらもがいている。
ちょっとした経済の動きに地殻が変動するように崩れ去るシュミレーションと知りながら