絆は頑張って強めたり深めたりできるものではないのだ! | クリスタルのトイプードル、ヨークシャーテリア、マルチーズちゃんブログ

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12/12 結婚記念日  も静かに過ぎた
そして感じるものは大声で今連呼される「絆を深めよう」少なからずも違和感を感じてしまう
絆は頑張って強めたり深めたりできるものではないのだ。
「気が付いたら結ばれ深まっていた」という形で常に後から気付くものではなかったのか
おりしもその日「絆」が今年の流行語大賞になった!!
 
絆を広辞苑で調べてみたら
①絆は馬・犬・鷹など動物を繋ぎとめる綱
②断つに恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(ケイバク)
語源としての①があり②の意味が派生したというのが通説のようだ
 
繋がりとしての絆は確かに優しく暖かい
利害や対立を越え絆は人々をひとつに包み込むだろう。
しかし しがらみとしての絆はどうかべーっだ!
 
ほだし【絆し】の意味は?国語辞書。
 1 人の心や行動の自由を縛るもの。自由を さまたげるもの。
「義理人情の―」 2 馬の足をつなぎ
 
ほだしという言葉の意味にある絆としての作用が恐ろしい
それは しばしばわずらわしくうっとうしい雰囲気のように個人を束縛し支配する
もちろん 危機に際して第一に頼りになるのは絆であろう
その点には異論はないけれど 
しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないだろうか!?
「絆」は基本的にはプライベートな人や場所などとの関係を意味しており
パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。
つまり「絆」に注目しすぎると
「世間」は見えても社会は見えなくなるという認知バイアスが生じやすくなる。
人々は絆という言葉のもとでいっそう自助努力で復興に励むだろう。
たとえ社会、政治行政のシステムに不満があっても「世の中とはそういうものだ」という諦め観が
絆をいっそう深めてくれる・・・・・・・・
オレは絆という言葉がどうしょうもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのですが
 がどうしょうもない社会の政治行政のシステムに不満があっても異議申し立てをしようという声をは、
絆の中で抑え込まれ対抗運動のための連帯はそこから生まれない。
弱者保護の問題など・・・危惧を感じる。
本来は政府の仕事である弱者救済までもが家族の絆にゆだねられてしまうことだ。
かって障害者や特に精神障害者は私宅監置にゆだねられ高齢者介護が家族に任され
そして高齢化した両親の絆に依存しなければならないすべての社会が見守らなければいけないことに
被災した人達も実際は社会の政治行政のシステムから見放されている。
被災した地域の復興の仕事が被災地の人々には殆ど廻っていなくて
大手ゼネコンがすべて仕切っている現実・・・・・
そして被災した人達には仕事は無いのだ!!
こんな社会を政治行政のシステムを根本的に直さないとボランティアとか綺麗ごとで
復興はありえないのだ。
 
昨年は「無縁社会」がノミネートされたことを考えると確かに
3月11日の災害経験を通じて人々のつながりを
取り戻すきっかけになったと希望的に考えて見たくなるが・・・・・・
 
人間とは弱い者も強い逞しい奴もいて
 
「ショック・ドクトリン」という災害便乗資本主義と約される言葉がある。
要するに大惨事漬け込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ
阪神大震災になされた橋龍の構造改革が「ショック・ドクトリン」に当たる。
この間 大阪市長選で当選した橋下氏の政策も似たようなものであると思う。
人々が絆によって結ばれる状況はこの種の改革と大変相性が良い。
政府が公的サービスを民営化してあらゆる領域で自由競争を強化し弱者保護を顧みないで
人々は絆によっておとなしく助け合い問題は置き去りとなり
絆の中で抑え込まれ対抗運動のためのエネルギーは絆によって吸収されるのだ。
本当は社会の絆などとうにバラバラに崩壊しているという現実を受け入れるべきで
破綻した国民年金と同じで今更糊塗してもどうなるものでもあるまい。
大体 国旗を掲げ 国歌斉唱 靖国神社参拝を軍国反戦に結び付けて参拝しないような閣僚が多い
のだからそんな奴らが絆を連呼するのだからおかしいのだ むかっ むかっ むかっ