各地で今や卒業式、そしてもうすぐ入学式
ナショナリズム理解の深化のためには、学校の式典で国旗を掲げるのはけしからん、
という発想を脱することが必要だろう。
ナショナリズムは日本国内においては、否定することができても、
一歩国外に出れば、私たちは日本人以外の何者でもないのだ。
理念を共通のきずなとする「シビック(公民)・ナショナリズム」も存在する。
この種のナショナリズムは独立宣言にみられるような建国の理念を
共通の価値観として保持することが基盤になるといえる
最近日本でナショナリズムが高まっているということは、
外国の脅威が増加してきたことに対して
自然に盛り上がってきたことではないのだろうか?
戦争をしようとしてナショナリズムがあるのではなく、
日本の主権が侵害されることに耐えきれずに一般の人々の
「日本だって権利を主張する」という心根の発露に過ぎないのではないか?
ナショナリズムなんておおげさな言葉で言われることではなく
、
まっとうな扱いを求める声なき声ではないのだろうか?
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まっとうな扱いを求める声なき声ではないのだろうか?
ナショナリズムはいわれているほど怖いものでも異質なものでもない。
たとえば野球やサッカーの贔屓チームを応援する心はまさにナショナリズムそのものだ。
あとはそれが権力に結びつきさえすれば完成だ。
愛する対象が虚構であろうがなかろうが、そんなことは一向にかまいはしない。
アイドルはその名の通り虚構そのものであるが、
贔屓チームのマスコット人形のようにファシズムにだってアイドルはつきものだ。
参加することの楽しさ、一体化することの幸せ、面白ければそれでいいという肯定感。
ナショナリズムは、不快なストレスをいやしてくれるし
、
なによりとっても気持ちが好いのだが!
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なによりとっても気持ちが好いのだが!
ワールドカップを応援するのは健全なナショナリズム、
主権侵害を感情的に糾弾するのは不健全で危険なナショナリズム、
と色分けする風潮が生れそうなのを心配する。
そにな色分けをすると、唱える人の主観に基き、客観性に欠ける。
不毛な議論に繋がる。
国民が何百万も餓死するほど貧しい国なのに、核兵器やミサイルを準備し
、
人口に不相応な大陸軍を配備するのは、社会主義的ナショナリズムの特色である。
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人口に不相応な大陸軍を配備するのは、社会主義的ナショナリズムの特色である。
軍備そのものはどんな健康なナショナリズムの国<例えばスイス>にも
あることだから不思議はないが、国民の窮乏を無視して軍備増強を続けるのは
そのナショナリズムに社会主義がくっついているからである。
大量虐殺の思想はすべてルソーの流れを汲むナショナリズム、
社会主義と合体したナショナリズムのものである。
今回の台湾総統選で台湾の健康なナショナリズムはどこに消えたのか?
支那の手先のような馬英九を
なぜこの時期に国民党の馬英九が台湾総統選で当選したのか?
馬英九氏は台湾では美男子でアイドル的で投票そのものが虚構で有ったのだと考える
事も出来る・・
自己の統一・発展、他からの独立をめざす思想または運動は、
今や目先の経済だけの国民の判断停止を残念に思う。
台湾の国民は台湾独立の時期を逸したと思うのですが・・・
台湾総統選で当選した国民党の馬英九・親中派の前党主席も
北京五輪のボイコットを視野に入れているような発言をしているが?
真意は?でしょう!
嫌だ嫌だ、気持ち悪い。なにがそう感じさせるのかうまく説明できないのだけどダメなものはダメだ。
端的に言えば大きなお世話。明るさや健康さは確かにすてきかもしれないが、
それを維持するために排除隠蔽している物のことを考えるとよけいに気が滅入る