「笠村メソッド」という素晴らしいメソッドに出会った。
このメソッドは、とてもシンプル。モヤっとしたり、イラっとしたときに、その「モヤっ」や「イラっ」の体感をじっと観察すると、その感覚は自然に消えていき、本来のエネルギーを取り戻すことができる、というもの。
この数か月、手放しワークをさんざんやっていて、いまいち突き抜けられなかった私にとっては、救世主のようなワークだった。
思い込みを書き換えるワーク、信念を手放すワークの難しさって、自分で思い込みに気づかなければならないというところ。これが結構難しい。
気づきって、がんばって降りてくるものじゃないから、気づきたい思いが空回りしていつの間にか思考に走ってしまっていたりする。
また、いくつもの信念が絡み合っている場合、なかなか全ての信念を見つけられなくて、いつまでたってもモヤモヤ案件が終わらなかったりする。
でも、笠村メソッドは、「この感情の奥にある私の思い込みとは…」とか考えなくていいの。ひたすら体感を味わえばいいの。
そして体感が消えるとき、その背後にあった、何らかの思い込みや信念もおのずと一緒に手放されている。まあすてき!
これをひたすらやっていくと、私をとりまく世界は、みんな私の心の延長なんだって思えてくる。
この世界は、私が体験したいことだけでできている。悔しい気持ちも、敗北感も、自信ないわーっていう思いも、きっと私が味わいたかったものなんだよね。
なんでそう思うかっていうと、感情は、とことん味わってあげると、
「満足したわ!バイバーイ!」って成仏しちゃうから。
同じような嫌な出来事が、相手を変え場所を変え、繰り返し起きるのは、そこで生まれるネガティブな感情から目を背けているから。逃げるから、いつまでも追っかけてくる。
そして、感情が昇華した先には、世界がさらに深く味わい深く美しく広がっていく。
恐れが薄まり、自由に軽やかに動けるようになる。
この錬金術のような体験が、とても気持ちいい。
赤ちゃんはまっさらピュアなエネルギーの塊だけれど、その一方で、傷ついてひねくれてズタボロになった経験をしっかり味わってきた大人のたたずまいには、深みを伴うその人らしい美しい愛が、自然と滲みでてきてしまっていると思う。
私はそんな年の重ね方をしたい。
ポンとこの世に生み出されて、第一声オギャーと泣いた私たちは、赤ちゃんの頃は、この世に違和感だらけだっただろう。
そして外界に出会い、見分を広げながら、自分が生きている世界と自分の魂を統合していき、やがてひとつになっていくのが、生きていくっていうことのひとつの側面だと思う。
痛みを伴う感覚、違和感、自分から湧いてくるどんな感覚も、私は腹をくくって丁寧に味わいたい。疲れて休むことがあっても、必ず迎えに行きたい。