世の中、しきたりや礼儀があります。
相手に不快な気持ちを与えないように、失礼にならないように、これらのことは大事です。
しかし、日本語に『慇懃無礼いんぎんぶれい』と言う言葉もあります。
…表面の態度は丁寧だが、心の中で相手を軽くみていること(さま)
…スーパー大辞林より
礼儀作法にすごくこだわりますが、周りを軽くみる人が
つまり、二重人格の『嘘』をみずから演じています。
この『嘘』な自分を演じ続けていくとうちなる分離を生み出します。
このように、真実、誠実から離れる現実をつくる人は、スピリチュアルの学びでは、なかなか統合に至ることが難しい。場合によってはチグハグな人格を作り出し、ひどい場合は統合失調な状況を作り出す。
インドでは、こんな伝説があります。
「両眼を捧げし愛――カンナッパとシヴァ神の奇跡」
南インド・タミル地方に伝わる伝説の中で、狩猟民の若者カンナッパシヴァ神への深い愛のために両眼を捧げようとしました。この話の中で、カンナッパの姿は、形式や身分にとらわれない“真心の祈り”の尊さを示しています。
“儀礼の正しさではなく、神への純粋な愛こそが最高の供物となる”
―カンナッパの伝説が聞く人にはかなり感動と衝撃を与えることでしょ!
この伝説が神と人との間にある究極の慈愛と信頼が時代や場所を超えて語り継がれ続けられています。興味ある方はネットで調べてみてください。
もちろん、神への敬意、愛を表すために、両目を捧げる必要がありません。
それをすれば、神様が悲しむでしょ。
大事なのは、
神へ繋ぐ唯一の道は真心のみ
と知るべきです。
スピリチュアル学びの神は宗教の神様ではなく、すべてのすべてを作り出す
源=一なるすべての意識=神=創造主
です。
そして、すべての命には、創造主の一部の光があります。
なので、目の前に現れるいかなる命に対して、どんな時も私たちは心の中で敬意を忘れてはならない。
例え、その命の存在がどんなにあなたの価値観に叶わなくとも、その命が神のある特別な使命と学びを持っています。
すべての命の存在価値が、『私』の存在価値となんら違いがありません。
命に敬意を払うことは自分への敬い、そして神への敬いにつながります。
真実の神の光の波動と繋がるために、真実な自分でいる必要があります。
そして、この真実な自分と繋がれる方々は神の意識と再びつながり、ワンネスへの道に進みます。