どこからどう話そう、そうだ、昨日は、不思議なネパールのバザールに吸い寄せられていたのだ そこでいい氣になったのがそもそもの誤りだったのかもしれない ‘生霊’が憑いているといったことを判断され、“マニボウ”を欲したが故に‘金縛りに遇ってますか?’とも云われた 実は“命の水”について地域文化の掘り起こしを独自にしていて、その中で、大宮熱田神宮へと誘われたのだ そこでは、人っ子一人いなかった ただ鳥が鳴いていた ビデオカメラをまわし続けて、なぜこの場所が、水の神様なのか・・・?といった意味を捉えてもいた 黒沢というものにも関係し得るのではあるが、埼玉から長野へと移行したのはどういった意味があったのか・・・? そのあたりが解明はできない ただ寂れていた 長野県では樹齢にしても何にしても記録的な杉が存在している そして、杉と松が合体したりして、所謂ベトちゃんドクちゃん状態だった それをなぜか縁結びのヨロシク、その樹木の股のような分かれ目には、50円玉が置き去りにされてもいた 50の縁に肖りたいとの切実な願いでも有らせられたようだ その撮影を終えると、確かにこのは入り口付近は、恐らく私が事業を起こす場所なのだなと、壮大なスケールを掲げて脳裏に焼きついたりもさせていただいた 恐らくこういったオーガナイジング・アビリティは、整えられつつ在るのであろう そして、白檀のお香を焚き、身を清めつつ、今朝を迎えはさせていただいたのだが、一向に眠れないのであった 目が爛々とするばかりであった 目は起きていてしまうのだ どーにもこーにも、起きている 抑えようもないのだ そして、丑三つ時を過ぎた頃に 歯磨きをさせていただいた あまりにも眠気が来ないので、歯でも磨けばこの呪縛から逃れられるだろうにといった安易な気持ちでもあった しかし、明け方の五時を回ってしまっていた 氣がついた時には、もう・・・ 常にそーなんだ この朝、子ども達の弁当を忠実に作る 卵焼きだのサラダだの具沢山のスープだのといったようにいつものごとく、それらは何ら変わりない 弁当を作り終え、それぞれを送り出す そーいった決まりきった毎日の動く中で、なんと、継父が劇物毒物である除草剤をこの家の近辺に撒き散らした しかもその後、継母もスプレーに消毒薬の濃いい液体を撒き散らし始めたのである 私はもうどーすることも出来ず、成す術もなく平伏した蛙のような存在になり、事態を見据えた そして、継母は言う「もう二年足らずで寿命」というのを近所の老婆に語っているのであった 叱らば、この毒物のドクロマークが醸し出すオゾマシイ鼻がもぎ取られるような臭いの効能をどのように処分せしめるのであろう? もうこの課題に直面させて頂いて、40年も過ぎようとしてはいるのだが、一向に和解の兆しすら見え難い状況と化しているのも事実である そして、私は寝込んでいた 苦しみに耐え抜いてさえいた しかし、誰もこのようなジェノサイドに晒されているといった意識はない 寧ろジェノサイドは存在しないといった暴行を仄めかされてしまう 野蛮人の群れに在住し過ぎた境地に在住してしまう 稀にとか偶にといった、マクロの偶発的さながらの事態なのでもある カラスが勢い余ってびゃーびゃーと泣き喚いている 分かっている分かってはいるが、どーすることもできずにいる ただ毒薬の★ル★ランが、継父を洗脳させ、継父の寿命を減らすのには一役買ってもいるのであろう もうこのような囚われた境遇に存在するのには、歩度ほど懲りた この人類は何を問いたいのであろうか? 私には今現在さえ良ければいいといった頭にしか思えない しかし、この威圧的なジェノサイドでは、そーいった能書きは一切、通用しないのだ なぜここまで、統制させたがるのだろう…?意味がわからない 生態系が狂ったから、ウシやブタを飼い過ぎるから、蜜蜂が消えたとかって、数日前には言っていたのが、今日はもう日の出前から、殺虫剤をありったけ、この屋敷のまわりにどさまくと撒いておいて知らん顔だ もう朝から苦しくて苦しくて息をしない方がましだとさえ感じていたのに さらに追い打ちをかけるyぽうに継母は、霧吹きでその行為をマスクもせずに続けているのである 驚異の他になんといった表現のしたら良いのだろうか?この悪魔の仕業にどういった態度をとったらベストなのか…? 今のところは未解明鎖ながらでもある そーいえば、ワイナリーの見学をさせていただいた際にブドウの成長新着状況のログまでも教えて頂いた 白い土がブドウの成長には好影響を与えることや、薔薇を傍に植えるということで、害虫などのバロメータになりうるなどの詳細な説明をして頂いたりもした 今後のワインには少なからず期待ができそうだった 引き継ぐことの重要性も与えられたように感じさせても頂いた 明日はもう、継父母の撒いた殺虫剤は、その辺の野山に散らばっていってないのだろうか…? この無知の罪を被るのは、われわれ子孫の宿命なのであろうか…、ほんとにオゾマシイ現状である そして、ここまで画一的に統制され、半ば洗脳されてしまった継父母の憐れさを思えば、不憫でさえあり致し方ない このような教育の熟れの果てをどのように説明をつけるのか?私には今のところ、まったく分からずにいる このように汚染された土壌や大気の回復困難な道しるべをどうしたらいいのか…? 怒りはなく、淋しく情けなさとでいっぱいになってしまってもいる 野蛮人の国に拾われてしまったがゆえに… 蓮華合掌

よくリーダーシップを発揮するといった意味での使われ方の多いこの‘リーダー’という言葉ですが、考えてみれば“聞き役”ですね それがどういったわけか、“聞き役”ではなく、責任を転嫁させられるような存在になっているような氣がします “聞き役”といった方々は、年齢を積んでこられた長老といったイメージもあります 色々と人生の航海をし、すったのもんだのを繰り返されてといった経験がある 経験から導かれたり裏打ちされた方々に相談するといった流れなのかもしれない ただ、われわれの現在進行形のこの“リーダー”というのは、つぶさに聴く機関としての機能でありたい しかも、人魚姫のように身体の半分は人間で下半身は魚のような存在にインタビューを決行するといったものでもある 具体的には、上半身は全くのところシャットアウトである これっていうのは、想像とかでも何か全体像が分かってしまうと、「あいつだな」とか、そのしゃべっている本人が特定されて、暗殺されかねないからでもあるヾ( ̄- ̄ ̄ 3) こんなふうに打っている本人だって命がけみたいなところもなくもない それは、こいつが言ったあいつが言ったというのをやっていると、本心はひた隠しにされてしまうだけで、元の木阿弥だし、この先にも改善されるといった兆候はなくなってしまう インタビューはするが、答えたくないことには答えなくてもいいし、しゃべりたい場合は時間が許す限りしゃべり続けていいとしなければならない そこで、スポンサーを募りたいのは、スポンサーと云うとそういう何か利害関係が生じるようでもあるのですが、われわれの考えている資金集めという手段は、出資者から、今回のプロモーション企画に関するプレゼンを購入し、その次の段階の映画に運ぶ資金調達の手法でもある こういった見世物を製作しDVDなりなんなりにして、それらを売りさばいて、短期的に期間を区切り、またその企画を売却し、それらのかかった報酬と経費を差し引いて残った現金を利益とみなし出資者に分配して一航海が終了となるという方法を採択する つまり、現在のような期間損益とは無縁の経理にする こういったシナリオは出来ているので、このスタンスで進めていくことになる 新鮮な“企画”とか、旬の企画が要求されるのですが、われわれが、現時点で直面している内容を考えています 勿論、これはNPO版ザガットといった考え方でもあります ただ、私の現時点での民法的な立場は、‘無能者’といった囚われの身になっているので、この点に着目すると、無能力という立場では、何か‘悪事、悪行’を起こすやりきれないやつらだといったイメージを尽く廃し、‘無能’ということにスポットを充てる そもそも自身が、どこの国籍の誰であるのかを知らないし証明も不可能であるといった存在であり、そういった証明のでき得ない事実という、ジェネラルでは単に珍しいといったことで片付けられていたり、日本人のその多くには「ふーん」という調子しかリアクションも何もないので、そういう5%未満の人々には、直接関係もないらしいので、それはそれとして、その他の夥しい人間らしさの追求に活用できるものになればと感じているのです 歴史は繰り返されているって云ったって、どの部分の歴史がどんなふうに繰り返されてるかなんてのは、断片的なものだけかもしれないし、この部分はそーかもしれないけど、この部分なんかは違うってなる そんなに似てたら変だと思う という見解はあります この“ヒューマンフォーミュラ”なんかも、実際こんな人道的な公式だなんて言ってるのは、どーいった脳みそをしているなのかなって思われても、今これを見てるあなたと大してどこも変わらないと思います ただ、私にはこの社会に下されたレッテルのような烙印のような、然もすれば、強烈な画一的な社会からの食み出しモノであるリストリクションされ続けた人間、みなさんとどこも違わないような暮らし振りなのにどこかが違うという烙印を付与された結果のどこかでの市民みたいな氣はします だからってどこかに所属はしているけど、どこでも通用するというものでなければ人道的な公式とはいえないっていうことです だって、ここではダメであそこではいいよっていうのは、そもそもそういう考え事態が、全体主義の齎すものなのかもしれないし、どこ行ったって何もできないし何をしてもムダな感じがしてしまいます あの国に行ったらできるよだとか、ここならいいよとかって、やはりその昔は、そういうので移民が右往左往していた感じはありますね そうじゃなくて、人間がどう思い何をするのか?がポリシーであって、どんどん食べろ食べろって、作って売りさばくという時間的なコスト計算をいつも念頭に置いた経営をしてて、これっていうのは、もう貪りの境地ですよ ‘食べることが苦しみ’に変わってしまうだけです それは売りたいから食え、食い潰せっていうような政策貧困的な儲け過ぎの農業を一心不乱になってやっているとしか思えない またこういった発言が命取りになる怖れもあるのですが、みんながみんな全員がそんなことに参加できないに決まってる このシーズンは断食をしたいと主張する人だってあれば、通常は梅干粥に少しの味噌汁でいいという人だっている そういうのを聴いてみる それは個人的なことかもしれない 集団ではわからないし、集団の中にその個人的なかけがえのない何かは、かき消されてしまうにすぎない ちっぽけなことだと云われてしまう もっともっと大きなことを考えろとか、大きな企画を考えて儲けろと躍起になる 果たしてそうだろうか・・・?目下のところ、疑問に感じてしまう あくまでも何かその人間の中の限りなく小さな遺伝情報のようなゲノムDNAのようなそういった意志のような思いを大事にする それを親鳥が卵を温めるように孵化させること それが具体的なこのヒューマンフォーミュラというものなのではないか そんな一考を感じさせて頂いてもいる 半漁人のお話に戻れば、なので出資社には例えば、靴のメーカーだとか、パンツやジーンズのメーカー、スカートのメーカーといったもので補えばいいのである それはそのインタビューに答えてくれる誰かがそのメーカーをプッシュするということ こちら側で用意するとかではいけないと思う それにあくまでも地域社会が全員参加するのを目的としているので、一人残らずが、そういった企業の恩恵を意識するだとかの人事ではない自分として何かが目覚めたりする そうなったらいいのかなと感じる それは背中だとか足の裏とかでも通用するかもしれないので、そーいった社会概念上、通用できるかなっていうのを採用したらいいのかなとも感じている ただ地域全員参加とかってお題目的だけど、あくまでも個人に寄与したことであるし、集団的な多数派の意見のみを問い質すようなことにだけはしない けど現存する場所によってはかなりの開きやミスマッチや原住民vs銀河系生命体とかいった光年的開きはあっても、それらが混沌とした今を感じつつ、そういった夥しい生命体への切実な願いを達成することが使命でもあるのではないだろうか 


 ●●●●●●●子さん一家に関して: 04/10/15 15:02:09 
:現状と見通し
 2004(平成16)年10月13日現在、〒xxx-xxxx ●●●郡●●村の村営住宅に長男、長女と住む ●●子さんは、今日時点では、5年以上本邦に居住していたい旨と、住居を希望している 14日になり、12:15頃支援者Mに電話をし、長男(18才)が、ブラジル帰化を希望し、あと一年以内にはブラジルで生活をしたいと期限を決めてきたので、前日の13日の話し合いとは異なり、●●子さんもブラジルに帰化したいとの意向に変更した これは、現時点での住居の保証人である〇〇〇〇さんにはこれ以上のご迷惑をかけられないといった已むに止まれぬ事情が強く、●●子さんの気持ちにも配慮されたい
 ●●製作所では、14日からまた仕事が再開するので会社の方から来てくださいとのことであった 職場の方々はとても親切になさって頂けるとのことであるというので、現状では仕事のことでは特別な課題は生じていない
 (プライバシーの課題)長男●●●くんが、ブラジルに在住している彼女と結婚するかもしれないから、ブラジルでの生活拠点を築きたいと決めている(やっと固まったようである)
 ●●子さんは、両親が京都在住だったこともあり、日本人の血が半分混じっているんだから、本邦では堂々と権利を主張してもいいと考えている(憲法等)

 日系ブラジル人が介護ヘルパーの資格取得を目指すには、2級は試験が免除されるという 一時的にブラジルに帰化なさったとしても、もしかしたらまた本邦に戻ってこなければならないかもしれない ただ介護の実務経験が在るという経験則のみであるのが現状ではあるが、日本語がそれほど理解できないので、課題が生じている 一番には、時代を見据えて、今後ヘルパーとしての職務に就業を希望するかどうかでもある 生理整頓が苦手でもあり、周囲の方々との係わりも大事であるということは知っている 所謂コミュニティケアである ただ支援者サイドが首にナワをつけて介護のヘルパーにというムリにとは云えない また、そんなのは需要があるんですか?といった行政サイドの認識の乖離もある 日系の方も介護の経験は在るもののその介護を受けるサイドによっては、差別意識がぬぐえない方々も少なからず存在してしまう 先日も、某乳児院の園長に日系ブラジル人の赤ちゃんの面倒を看るボランティアをしますといって施設見学を申し出たところ、応接室に通されて、いざ赤ちゃんと面会をとなった際に 「あんたがたは暗すぎる!」などと‘アンタ’呼ばわりされた上に赤十字の看板をぶら下げている人道の人から発する言葉ではないような「暗い!ダメだ!」といって追い返されもしたのには、驚愕したのである(m)
 日系ブラジル人に限らず、中国や北朝鮮、韓国、フィリッピンの方々が永住を希望されておられるのに職がないというのでは、現行のリズムから抜け出せないのではないでしょうか? 今回はこのテーマを炙り出してみましたが、これら外国籍の方々に対する職業の確保に 現存する人手の最も足りない介護や子育て分野でのOJTとした人材能力開発が最も急がれているようにも思われます またそれと同時にこのような課題が急務に取り組まれなければならない責務にも感じられて仕方がないのです 

上記の類の生活相談に重きを置くことを主眼とし、実務経験を重視します ですので、特に何語がデキルだとかどこ国籍だなんだかんだという事項は設けません ただこちらの運営上、そんなにも多国籍の状況ではないにしろ、いずれはどこにいても誰でもが参加できるそんなゲームになればいいなという論旨です 

この日本の家では仏教関連の本が無数に散らばっていたのでどーといった事も無げにそれらの古びた古典を観賞していた過去ではある それと同時に中国の故事なんかにも、これはっという感激が自身の中でリンクしていたので、もう手にとるようにわかったというより分らせて頂いたのかな ところで、そーいえば、朝日新聞の記者だった岡部 氏の著書に非常に関心をもって読破させて頂いて、あーこれって、あのさぁTさんに貸しっぱなしで江戸に行っちゃったんですが、その後絶好調でしょかね? 懐かしく思い出されますが・・・ Tさん、その辺の本棚に埋もれててたら、そろそろ戻してくれませんか? Tさん連絡して下さい!まぁ氣がついた時で一向に構いませんが・・・というように仲間うちとかでは、本の貸し借りはしているが、自分ちがほぼ図書館状態で、生涯学習関連をライフワークに勝手にしているような氣もしないではないので・・・ こんなのって面白いですよね、

 時は流れて___“ロックよ静かに流れよ”なんてのは、憶えてるやつらは少ないのかもしれない アレってのは、あたしらにとっちゃ、唯一の青春って呼べるやつだったのかもしれない ほんとうにトモダチの弟が単車で起こす凄まじい事故っていうのは後を絶たなかった けどあの映画をきっかけに 恐らくモメンタムだったのかなってね 感じますね 若くって飛んでいきたいっていったアラクレ小僧みたいなイケメンな弟がね、コロッとね、ある日突然にあの世に召されてしまった ほんとうに成人式だって迎えてなんかいないのに・・・だよ ツライぜ 家族だってやり切れねーよ、そんなのはね けど現実社会とは、こう真正面から向かい合わされてしまう けど、あんまりこういったのをわかる人間はいない 単車を転がす人間なんか新聞配達のおいさんくらいの僅かばかりの日本になってしまった この季節になると思い出すよ オートバイに乗ってた自分とか・・・あの時は死ななかったけど、まぁドライバーがいいやつだったからかもしれないね ドライビングテクニックっていうのは、何かこういっちゃなんですが、あまり訓練したからとか資格とかそういったものでは顕せないような氣もしますね 通常は歩行者に親切で、いたって車間距離は長い 今で言えばエコドライブってのですかね けど、スピードを快感としている諸君らには及びもよらない世界になってしまう 特にジェットコースターなんかを信奉してる人とかなんかは、氣が狂いそうになるのかもしれない なんてね 映画の話に戻せば、あの時代一世を風靡した あぁいった感動なりなんなりっていうのは、時空と場所を変えても、なんだか新鮮に蘇る氣がしてしょーがない 私だけかもしんないけどね こういうヒマなやつは・・・けど、あのべんとうやなんかも、様変わりしちゃったし、そんなこと事態が遇ったとかなんて、そこのバイトの人に聴いたって知らないっていうだろうね そういうもんじゃないのかな・・・なんだか、さびしいけど 骨と一緒だよね ないと困るって考えてる人もあるし、特に灰であっても、もう自分ではどーすることも出来ないし、後の人間に委ねるしか手立ては何もないんですから こういった意味を考えない 後からくる人もみんな自分と同じことをしたらどーなるんだ?っていうのを考えて行動しない 今の今までもいていなかった 出来なかったという こんなんじゃ、泣き言ばかりで通せるっていう主体性のない人間の大量生産と一緒だとしか思えない 自分のいま暮らしている目の前にいる人が何を大切にして何をしようとしているのかを考えない 目の前の人間すら、どーしてやることも何も出来なくなってしまっている 麻痺が起こっている 悲しく虚しくわびしい今といえないだろうか ただ、私はこんのはごめんだから、こういった考えの‘元カレ’とは今後一切交際を絶ちたいと・・・、絶縁したく感じさせて頂いている 何もこれは人間とは限らない つまりこういった仕組みで動いてしまっている公式とは、あばよっと云ってさよならしたい *ごめん、シンゴちゃんのセリフを借りちゃって・・・ そんなとこですかね 昨日見た害虫が蔓延する世の中とは、どっかでプッツンとならなければ、自然界ではない そんな今を迎えたのだとはいえないだろうか 蓮華合掌