古代文字を学びにいったとき、



高校の担任と再会した




玄関につくと



まるで、まっていたかのように




先生が、立っていた






あっ





お久しぶりです



こえをかけると




あらーと優しい笑顔で包んでくれた




男の先生だけど、あらー・・と




16年前と変わらないテンション





高校2年から、2年間お世話になった





あの時はお世話になりました




うんうんとうなずく先生




今、こちらにかえっておられるのですか



はい




そうでしたか



今はどちらに?




あ、YM小です




そうでしたか、そうでしたか




先生は、じっとこちらをみて、
ただただ笑顔で、包んでくれた




その笑顔が、なにか、心に残った




なんだろう



なんで、あんなに笑顔なんだろう





研修が、あったので、先生に一礼するとそこを去った




やたら、先生の笑顔が、脳裏に焼きついた




次の日の朝




出勤時、車を、運転していたら、忘れていた記憶の一部が、蘇ってきた



そうだ・・


あの笑顔




高校の時、人生最大のピンチを迎えていた


本当に



生きるか、死ぬか



わからなかった




一年生の時に、半年入院した



あなた、入院しないと、命ないよ


と言われ・・



最初の一カ月



病室に監禁された



テレビもだめ



本もだめ



人と会うのもだめ



面会謝絶




起きてもだめ



ただひたすら
24時間



天井をみて寝てろ



と。




あの時の主治医にあったら、いってやりたい、あんなのドクハラだと




あなたの頑張りすぎるとこが、ダメなんだ



といわれた。



何もせず、一カ月ただ寝てろと


あれで、かなり脳の機能がおかしくなった



人も会えない



本も、書くことも



一カ月後



私の容態は、さらに悪化し、生命維持ギリギリの状態までいった


本当に、あれは、ドクターハラスメントである



体重は、28キロにまで落ちて、骨と皮ばかりになった



メンタルも、身体も、限界だった



こんなところに、連れてきた両親、病気の原因になった、DV、病院にきたら、ドクハラ



三重苦だった



親も医者も


あてにはできない



自分のことは、自分が一番わかる



一カ月後、医者に



いい加減にして、私を殺す気か


と詰めよった



そこから、別治療になり、体重も40キロ近くまで、回復した



それから、半年くらい意味のない入院をしいたげられた



親が、その医師が、いいと思いこんでいたから



権威に弱いのだ




あの時、一番ダメージをうけたのは


脳機能と、メンタル



本当にひどいダメージだった



みんな、みてみぬふりだった




父親の魔の手から、このドクターの魔の手から、1日も早くにげたかったが、



周りは、権威になびき、私の話になど、耳を傾けてくれなかった



父親は、管理職だったし、ドクターも権威があった




初めて、私の話を真剣に聞いてくれたのは、あの担任の先生だった



そうだ。思い出した



先生が、いなかったら今私いないかも・・



初めて、父親とドクターに、


No


といってくれた人だった



寮にすめるように、手配してくれた


ドクターに会いに行かなくてもいいようにしてくれた



権威に屈しない人だった



思い込みなく、私に必要なことをしてくれた



ごめんなさい、先生忘れていました



車の中で涙が・・



あのとき、ただ生きるだけで、精一杯でした


先生の苦労も知らずに・・



あの時は、先生は、



ただ生きろ・・と



哲学の先生だった



いつもニコニコして


プレッシャーを、与えないようにしてくれて


ただ、自分の正義を、本当に大切にしていて、真剣に語ってくれたな



でも、先生の名前が出てこない




高校の三年間の記憶が、消えてしまっている



同級生も思い出せない


たまに、町で声をかけられると、


記憶がなく、


ただ調子を合わせて話すしかないときもある



一カ月の、監禁と、つらかった思い出のため、


ほとんど記憶がとんでしまっている



時々、何かのきっかけで、一部蘇ってくるんだけど



先生の名前



先生の名前




ようやく、名字が、思い出された


が、



下の名前が、出てこない・・



今も、何かキーワードを聞くと、記憶がすっとぶ


それのキーワードが、なんなのか、わからない


父親とドクターがいやだったので、


男性とか、先生とか、医者とか、怒鳴り声とか、それが、キーワードになって、記憶が消えるのかもしれないが、


定かでない



とにかく、空白が多い



スパーん

と、記憶が綺麗にデリートされる


原因が、わかればいいのだが、なかなかたやすくない







ともかく、先生の笑顔は



生きていましたか



ということだったのかな


と思った




あの時、先生も先生として、できるだけのことをしてくれたとおもう


当時は気づかなかったけど
当時は、感謝できなかったな


とにかく、一秒一秒狂いそうになるくらいの、身体の辛さと、メンタルの辛さをかかえながら、トップクラスの勉強についていくだけで、必死だった


私も、不調ながら、とにかく勉強だけは頑張ったし、できるだけ学校にはいった



体にエネルギーがなくて、夏でも震えていた




どちらかが、諦めたら今はない



先生、一緒に頑張って、生きてくれたんだ




だから、あれは、


あの時、諦めずに頑張って良かった



っていう笑顔だったんだ





で、ボロボロだった私が、


先生の今の職場である

研究所に、教師として研修に来たから



驚き半分



お互い



頑張って良かったな


って


そんな笑顔だったんだ








あなた、大学いったらきっと伸びるから



って前向きな言葉をくれたな



先生の言葉てすごいよね



本当に大学いったら


最高に楽しかったから



勉強も楽しかった




先生の言葉て



現実になるから







僕のおくさんね、喧嘩したら、僕にでてけっていうんですよ。家財道具、全部私が持ってきたんだから!ってね。僕の持ち物って、パソコンだけですよ?可哀想でしょ



今日のお昼は、購買のパンなんだ。奥さんおこって、お弁当ないんだよ


あははは







いつも、こんな話をして、和ませてくれていました



先生、うけるー



と、いっていましたが、、、




今になると、全て理由があったんだなって思います




失われた記憶は、戻らないかもしれないけど、今度あえたら、もう一度ちゃんとお礼をいおう




今年はなんか変な年だ




自分の過去を訪ね歩いているようだ



もう一度生き直しているような



そんな気がする




今まで、ただひたすら前向いてたから



感謝せずに通ってきたみちとか



足りなかったこととか



わからなかったこととか


知らなかったこととか




それに気づく年なのかも






ところで、先生の下の名前は、なんだっけ




今日もまた、先生のいる研究所に出張




会えたら、名札をコッソリみないと・・