無条件の神は言う
それは宗教を通してでも
宗教を通さなくても
そこへ至ることはできる
神の国 日本 に暮らし、
神の言葉 日本語を話すものたちは
みな日本人という捉え方もできる
そこには土地固有の神道的なことが
ちりばめられていて
ここでいう神道というのが
宗教ではないことを明義しておきたい。
宗教には、教祖や教典があるものであるが
神道には、神と仰ぐ教祖もいなければ、
ましてや教典もない。
教えの教義もない。
ただ、あたりまえのように
神の世界がそこにあり
日常の中に神道が根付いているだけである。
人々は、八百万の神々のことをしっていて
古来は今よりもっともっと神社がたくさん立てられていた。
人々は毎日神棚で手を合わせ
一日の祈りを神に捧げていた時代があった。
今、それを行えている人が何パーセントぐらいだろうか。
祖母の時代には、毎朝、手顔を洗ったと、太陽の昇る方角を向いて
今日も生かせてくださることを太陽の神に手を合わせ感謝をしていた。
その信仰の先には
条件のまったくない、無条件の神がいたことを
子供ながらに知っていた。
祖母の手を合わしている神は
けっして怒りもしないし、嘆きもしないし、裁きもしない
すべてを無条件にただただ見守ってくれている
あの太陽のような神だったことを。
日本人に宗教はいらない。
なぜならすでにそこには
真の神への信仰があったからだ。
何度も同じことを書いているが
ここが微妙なところ。
ではあなたは、神への信仰はどれくらいありますか?
なんとなく
普通に
神はいるから
信仰しているよ
そう答えるかもしれない。
しかし何か不運なことがあったり
自分を責めるようなことがあったり
孤独を味わうことがあったりすると
その神に見放されたと感じた経験はないだろうか。
幸いそれを強烈に味合う体験を
去年にさせていただいた。
この世の中に
自分を見守ってくれる存在なんて
ひとりも居ないと孤独を味わったり
この世の中には
信じれるものが全くないと
神も信じれなくなったと
絶望を味わったり
あるいは
己は大きな罪をおかして
その罪は償いきれないものだから
死んだ方がましだという無価値観を味わったり
あるいは
この世界は闇が深く
どちらを向いても光の一筋すら見えない
真っ暗闇でもうどうすることもできない無力感を味わったり
そのような強烈な体験をさせられることが
本当の神の存在に近づける
アトラクションであった。
罪や闇や孤独を
強烈に体験すればするほど
もはや神を信じずには居られなくなる体験
それを神は与えてくれていた。
本気で本当の無条件の神を信じられるように
そうすることでまさに救われる体験があったからこそ
こうして無条件の神への信仰のことを
書かせていただけるようになっている。
それは揺るがない確信とともに
そこには無条件の愛があることを知っているから。
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トリニティーのこの無条件の神が
トリニティーとは異なった宗教の、
某プロテスタント教会の場を借りて
無条件化のワークを行うことの
画期的な意義をみな気付いていただけるでしょうか。
宗教という条件付けが
ここでも無条件化していく。
トリニティーの無条件の神は
たとえそれが宗教であろうとなかろうと
その宗教の枠組みを勇に超えて
どんどんと世界へと広がっていきます。
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