~空からの贈り物~ -2ページ目

~空からの贈り物~

日々の生活で気付いたことや、感じたこと、セッションでの体験、マインドの成熟に至る過程での体験、
また、真我やマインドに関する言葉の引用や、素敵なブログを紹介させていただいたり、起こるままに書いていこうと思います^^



この “ありのまま” とは、




何かを介する余地のないほどに、




一瞬一瞬の “今” であり、




神聖さそのものである。






それは




全てにおいて完璧であり、




全てに対して開かれている。






まさに愛である。






全てが “ありのまま” であり、




愛そのものである。














あなたは今、とても辛く大変な状態かも知れない。



しかし、それは現れにおいて、マインドの視点から見た場合である。




あなたは気づいている。




あなたは認識している。




もちろん、生活するにあたり、



今の状態では、支障を来すかも知れない。




しかし、全ては過ぎ去る。




あなたは、 “ それ ” だと確信する。




あなたは “ それそのもの ” として、



個のまま、そして個も超えて、全てを受け容れる時、



全ては消え去る。




感情にも、思考にも、肉体にも、



ただ気づき、



ただ在りましょう。




全てに、



ただ気づき、



ただ在りましょう。





あなたの存在が、



真我から祝福される。













ただただ静かで、



生まれる以前の、



何でもない全て。





自我を知って、真我を知る。




自我を知っているかどうかは、



赤ちゃんと覚者の違い。




だからと言って、



相対的な体験をしても、



真我を知るかどうかは、



誰にも分からない。




個人が分かるような域ではない。




個人が知ろうが知らまいが、



全ては真我である。




唯一、今のあなたに言える事は、



調和 = 愛



である。




分け隔てるものは何もない。




マインドやエゴを排除するのではなく、



全てにおいて



“ ただそうである ”



という気づき。




対極な何かを統合させたりするのではなく、



(対極なものなど始めから存在しない)



その気づきこそが、調和であり、愛である。




マインドを成熟させるのではなく、



気づきが自ずと成熟させる




いつの間にか、



成熟しているものであり、



成熟しているという自覚はない




覚者が「私は覚者だ!」と言わないように。





全てがただ起こるままに。





全てがただ在るがままに。





風に吹かれる野の花のように。





川面に浮かぶ木の葉のように。





ただただその身を全てに委ね、




起こる事にただ気づく