ただただ静かで、
生まれる以前の、
何でもない全て。
自我を知って、真我を知る。
自我を知っているかどうかは、
赤ちゃんと覚者の違い。
だからと言って、
相対的な体験をしても、
真我を知るかどうかは、
誰にも分からない。
個人が分かるような域ではない。
個人が知ろうが知らまいが、
全ては真我である。
唯一、今のあなたに言える事は、
調和 = 愛
である。
分け隔てるものは何もない。
マインドやエゴを排除するのではなく、
全てにおいて
“ ただそうである ”
という気づき。
対極な何かを統合させたりするのではなく、
(対極なものなど始めから存在しない)
その気づきこそが、調和であり、愛である。
マインドを成熟させるのではなく、
気づきが自ずと成熟させる
いつの間にか、
成熟しているものであり、
成熟しているという自覚はない
覚者が「私は覚者だ!」と言わないように。
全てがただ起こるままに。
全てがただ在るがままに。
風に吹かれる野の花のように。
川面に浮かぶ木の葉のように。
ただただその身を全てに委ね、
起こる事にただ気づく