はいどうも☆
日本は開催国カタールに、からくも勝利しましたね。
吉田は不用意な足の引っ掛けで、2枚目イエローカードをもらい退場。
直後に失点し1-2。
↑カタール戦の主審MOHD SALLEH氏(マレーシア)
これでもう負けたと思いましたが、日本驚異の粘りを見せました。
香川、伊野波のゴールで劇的逆転勝ち!
本当によくやりました☆
退場した吉田は失点2つに関係していたので、戦犯にならずに済みましたね。
ほっとしていることでしょう。
さて日本はこのアジアカップでこれまで、予選リーグ3試合、決勝トーナメント1試合を戦っているわけですが、そこでよく聞くフレーズがこれ。
”中東の笛”
はい、アラブ諸国に有利な判定が行われる意味で用いられているようですね。
そこのあなた、ちょっと釈然としない判定があると、「中東の笛だ」って思考停止に陥ってませんか?
審判団が、あたかもアラブ諸国の味方であるような報道や、選手の言動に対して、僕は寂しさを感じずにはおれませんでした。
例えば、カタール戦後の選手のコメントを拾ってみましょう
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主将の長谷部誠
「・・・・今日は厳しいレフェリングの中でね、まあすべてがアウェーでしたけど・・・・」
吉田麻也
「審判も含めてサッカーだと思うし、ある程度、そういうジャッジになるのは事前に分かっていたことなんで、そこに対応し切れなかった僕のミスだと思う。」
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えっ!?
まるで審判が、不正を働いている悪者であるかのような物言ですね。
完全に敵としてみています。
しかし、果たしてそうなのでしょうか?
少なくともこのカタール戦で、ぼくは一方的なレフェリングを感じることはありませんでした。
吉田の2枚の警告に関しても、至極妥当なものです。
また、他の3試合にしても同様です。
ちょっと納得できない判定があると、すぐ”中東の笛”のせいにする。
その姿勢には疑問を感じざるをえません。
そもそも日本協会サッカー協会(JFA)は、”リスペクト”という言葉を大事にしています。
しかし審判に対しては、”不正なジャッジを行う”という色眼鏡で見る。
リスペクトのかけらも無いな、と。
ここでこのアジアカップを裁く、国際主審の立ち位置を確認しておきましょう。
下記は日本の2009年11月22日現在のデータです。
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国際審判 国際主審は日本に7人 ほかに国際副審が居る
1級審判 133人
2級審判 3156人
3級審判 29642人←僕
4級審判 172041人
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見事な階層構造ですね。
いかに国際審判が狭き門なのか分かります。
↑シリア戦主審 TORKY氏(イラン)
しかしさらに、AFCの試合を担当できるようになるまでは、国際審判であるだけではダメで、AFCエリート審判というものに成らねばなりません。
この試験は1年かけて行われ、これにパスして初めてAFC主催の大会を担当することが出来るのです。
いや~アジアカップを裁くまで、大変な道のりです。
巷で言われている”中東の笛”。
これは審判がレフェリングの基準を曲げ、片方に有利な判定を導くことです。
例えば僕が練習試合で主審を仰せつかったとします。
対戦カードは以下としましょう。
応援しているギラヴァンツ北九州
V.S.
特に思い入れは無いアビスパ福岡
さて、僕はギラヴァンツ北九州に有利な笛を吹いてしまうでしょうか?
答えは”否”です。
むしろ私心がないように意識し過ぎて、かえってギラヴァンツに不利な判定をしてしまう恐れすらあります。
なぜ、たかだか3級審判の僕が、ありのままの判定をしようとするのでしょか?
小さな虫にも五分の魂。
それが僕の矜持(きょうじ)、いわゆるプライドだからです。
片方に有利な判定をしようとするのは、結局”魂を売る”のと同義なんですよ。
自分の今までの審判経験や、かける思い、苦労を、不正というドロドロした泥で真っ黒に塗りたくる行為。
自分自身を真っ向から否定する所業なんですね。
3級の僕でさえ、このように思います。
であるならば、平日は走りこみで体力を鍛え、週末に何百、何千の試合をこなし、サポーターの罵詈雑言に耐え、辛酸を舐め、晴れてこの舞台に立っている国際審判が、中東の笛なるばかげた行為をするはずがないんですよ。
そもそも、審判は毎回アセッサーという審査官にレフェリングをチェックされ、バッジの審判に値しないとレベルと判定されれば、それなりの処遇にランクダウンします。
それだけのリスクを負って、不正な判定を行うでしょうか?
確かにレフェリングに間違いは付き物です。
パスミスをしない選手が居ないのと同様に、
今後もミスジャッジがなくなることは無いでしょう。
しかし
「ちょっとした判定に対して疑いの目を向け、審判団を不正者扱いする」
このようなリスペクトの無い、現在の選手、メディア、サポーターのあり方には、一石を投じたいと思います。
僕はこう思っています。
国際審判は”魂を売った人”ではなく、”魂を磨いてきた人”達であると。
秀逸なレフェリングをしても全く褒められることなく、逆に少しでも怪しい判定があると、鬼の首を取ったかのごとく批判される、審判という存在。
サッカーをご覧になる皆さん、どうかほんの少しでも、審判を暖かい目で見守って頂きたい。
本当にそう思います。