僕ら草サッカーチームの存在意義って何でしょうね?

目的とするところってどこなんでしょうね?


勿論短期的なことで言えば、目の前の試合に勝つことなんですけど。

僕なりに考えてみたんです。


①メンバーの体力向上


②メンバーの技術の向上


③メンバーの人格陶冶



①と②はまあ当然ですよね。

そしてね、僕が勝利の先に目指すもの。


それってやっぱり③の人格の陶冶かなと。

サッカーを通じて、チームの活動を通して、メンバーの人生を豊かにし、

その先に見えてくるものは、やはりより良い人格の形成ではあるまいかと。


ここれこそがFlyヨントス究極の目的ではないかと、最近思うんですよね。


でもそもそも、例えば学校の部活の目指すところってそこですよね。

部活動を通じて、人間を、人物を作ることが目的のはずです。

でもなぜか、これを唱えてる草サッカーのチームってあんまり無いような。


ところで、その人格とはなんでしょうか?

僕が思うに、以下のような項目の集合体が人格なるものかと。


*協調性

*他人への気遣い

*自主性

*礼節

*忍耐力

*強い意志

*責任感 等々。


何も聖人君子を目指している訳ではないですよ。

ですが、このようなメンバーの人格を、より高いレベルへ持っていくのが、真に良いチームなのではないでしょうか。


合言葉は、”人物をつくれ!”ですよ。



例えば僕はいつもこのブログで、”審判をやってみよう”

そしてやるからにはその”審判をしっかりやるべし!”と言っています。


幻の左前足


だって、試合では誰かが審判しないと、選手はプレー出来ないんですよ。

だからチームのみんなには、Flyヨントスが審判当番の時は出来る限り手を挙げて欲しいんです。

主審が出来ないなら、副審でいいんですよ。

誰でも最初はやったことないところからスタートなんです。

選手だけやって、”審判は出来ません”てのは、結局takeだけなんですよね。

giveが無い。


要するに、受け取るだけ受け取って、バランスを欠いた状態になってしまうんですよ。

そんな風に、気遣いや気づきのない人間を作ってしまうことは、チームとしてもよろしくない。

そして、本人のためにもならないと思うんです。


また、一歩進んで審判をやってくれるとしても、もしチンタラ審判をやっていたらどうでしょうか?


必死で走ってる選手に対して、審判がダラダラ走ってる・・・・

これって失礼でしょ?

審判が緊張感無くやっていると、選手のテンションも下がって、試合に集中できないんですよ。

これって、上記の”礼節”から、著しく外れる行為なんです。

だから僕は、口をすっぱくして言ってるわけです。



まあ偉そうに書いてしまいましたが、そのためにはまず、僕自身の人格がしっかりしなければなりませんね。


ぐーたれで、

へっぽこで、

意志薄弱で、

おっちょこちょいで、

ちょっとエッチな僕ですが・・・・



皆さん、これからもよろしく!(汗)