かまたきみこ「天軆観測」

かまたきみこ「天軆観測」

かまたきみこ オフィシャルBlog
作品を生み出す自分の身体は
美しい自然であり天体。
豊かなイメージで観測します。

のんびりしてってください~^^ byかまた
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ちゃんと付き合う人が欲しいと

思っていたよね



愛されて

愛することができる人が

欲しいなって思っていたよね



10代から50代まで(笑)

ずっと




友達とも、そんな話題をしていたし



友達だって、彼氏が欲しいと

結婚前提の付き合いができる人が

欲しいと




そう言ってる。




そう、彼氏欲しいと

思うよね


この歳になっても



60手前になっていても







でよ




メッセンジャーでやり取り

している人が



なんとなくなんとなく



好意を表してくれていて



私の反応次第で


その人を

彼氏っぽくすることも

出来そうだし



ただの友達にすることも

出来そうだし




自分の行動ひとつで

彼氏が居る  状況に

なる



そんな気がする。





まあ、いかんせん

住むところが離れているので



気軽に会えないから



特別に、判断する必要も無いし

期待みたいなものを

作らなくていいかなと思ってる。




でも、あんなに焦がれていた

「彼氏欲しいな」

という、おなごの渇望のような夢は(笑)



ある瞬間、夢でもなんでもなく




ただの行動、アクションで



というか、メールひとつで




かなってしまいそうな

現実



優しい言葉をくれる



遠慮がちに誘ってくれる



そんな現実が、そんな人が

傍にある




気づくと


「彼氏欲しい」という夢…

というか、


呪いみたいなものが

いつのまにか消えている


そういう時に

もう、彼氏  みたいな  何か


私の周りに現れているのかも



それは、ほかの男性との

関係にも表れている気がする



気兼ねなく話せる

お茶に誘ってくれる

一緒に街を歩く

自分の考えを、希望をシンプルに言う

相手の話を、考えを聞く

相槌を打つ…



男性との関係の良さは

女性との関係にも反映する







彼氏のような 何か  が


ちらちら、生活の中に

見えてきた、いま



今は仕事したい

今は相手に気を使いたくない



私が私を好きで

自分の生活を大事に

普通に過ごしたい




誘ってくれるその人とも自然に

会話していたい



そんなふうに私を自然に

居させてくれる

今…という時間は

とても満たされている。



「彼氏欲しい」の声がもう聞こえない





話す?話さない?


ちょこっと  時々

楽しい会話だけ、送りあう




会う?会わない?


今は県外に出かけない





1人でも寂しくないのは


多分、たくさんの人に

好かれているからだと思う。


その人からも

思いやりを向けられているからだと思う。




執着みたいな強い気持ちが

自分の周りには、ない状態。



あれ欲しい!という

欲も消えたのは



私の周りに、全部

準備されてるってことなんだと思う。






明治神宮の

どんぐり!!


大量😊

めっちゃ今回は、社会的なタイトル(^^;)

 

 

でもね、ちょっと私の視点から

書いてみたいと思いました。

 

 

 

もう7年は経ったかな

 

30年ほど真面目に続けていた信仰を

ふと、

 

 

「あ、やめよう!」

と思うきっかけがあって

当時それは自分にとって辛いことだったけど


かえって自分の曖昧な気持ちが

ハッキリと方向が定まって


信仰するのを終わろう

と決断して、


自分を導いてくれた人に伝えて

 


あまり引き止めもされず

そっと脱会しました。

 

 

 

 

法具(本や数珠など)も粗末にならないように、お返しして

 

書籍などは信仰の収集センターに送り届けて

必要な方に再利用してもらうようにした。

 

 

一応、立つ鳥後を濁さず・・・が大事かなと思って。

 

 

信仰が間違っているとか

不満があるとか

そういうことではなくて



辞める時だ

と思ったので辞めた



そんな感じ。


 

とまあ、これで私の信仰経験の説明を

簡単に

 

 

 

 

で、現在、とある宗教団体と政治家との

癒着の疑惑とか

 

信者の家族の犯罪によって明るみになった

度を超えると思われる献金が

ニュースの話題になっていたりする。

 

 

 

コメンテーターが、

「なんでそんなに多額の金額を献金する必要があるんですか」

「団体でチェックして、規制しないんですか」

 

 

 

と、信仰関係者に詰め寄っている

画面を見て、

 

 

それはそれでげんなりした。

 

 

 

いまさら・・・・

 

 

犯罪がらみのニュースなので

原因究明という目的で、

信仰への妥当な寄付、という

一般的に共通理解のない信者側の行為を

教団側にインタビューする時間


なかなかに違和感があった。

 

 

 

個人の信仰のあり方に

信仰の団体の管理不行き届きを問いただしているようで

 

信仰団体というものが、

管理の行き届いた学校や会社みたいな

世界だと思っているのかしら

 

 

 

 

 

私は信仰をやめた口ですが

 

長年の経験から思うことは

 

 

信徒は教義と「教団」に無条件に貢献する

「教団」は教義と場を提供するけれど

      信徒の信仰を管理しない

 

 形をとっていると思っている

 

 

 

信者本人としては

精一杯、自分の選んだ教義を、

無条件に信じて行動しないと、

信仰生活はあんまり楽しいものでは無い

 

 

そして、信仰の世界は

入って安心、外の世界から心が守られる世界なんだけど

 

 

 

その中で生きていくことはですね

 

 

 

信仰団体の構造というのは

 

 

 

普通の世間と同じく

厳しかったり

順位があったり、何世代も続くグループがあったり

上下関係のピラミッド構造があったりね

 

 

世間以上にがっちりしている

 

 

 

汚れた世間にいるよりも

教えをともにする仲間と一緒に

神聖な神について語っているほうが

心が平和になる、魂が向上する

 

そうやって、信者と教団側の強固な結びつきを

地域を含んだコミュニティの中で継続していくので

 

 

 

ガッツがないと、信仰の中ですら浮いてしまう

 

 

なかなかの競争社会だ。

 

 

 

そんなことはない

優しい、穏やかな世界だと、

信仰側に居る人は言うのだろうけど

 

 

 

 

いや~

 

 

ガッツのいる世界です

 

 

 

 

向上するガッツがあれば、信仰の中では

楽しく生きていける

 

 

 

 

がっつり、がんばらないと、楽しくないのです。

あれはあれで、なかなか

 

根性の要る世界なのです。

 

 

 

私のような、

同じ団体の信者と

プライベートでは付き合わない人間とか

たいして献金(お布施)できない人間にとっては

なかなか居場所のない世界です

 

 

信仰の中で、たくさんの人の名前を覚えて

会うたびに話し込み

ずっと教団の建物に通って

役職を得て、グループの長になって

たくさん献金している

 

ガッツのある人たちが

自分の仕事をしながら、会社を回しながら

大きな人脈で他人の面倒を見、

早朝から奉仕に駆けつけるという

 

なかなかのやり手の人が集う

 

 

エリート集団 教団

 

 

ある意味、そういう世界。

 

 

 

 

たくさん献金をしたら

 

 

「よく執着を切りましたね!!」

 

褒めてもらえる

 

 

 

本人にとってのメリットがあるからやっている。

 

 

 

それは、大なり小なり

 

 

一般の世間と同じことをやっている。

 

 

献金で破綻することは

 

カードを使いまくって破綻したり

 

 

経営が予想通りに行かず破綻したりすることと

 

基本的には同じだと思う。

 

 

 

 

デジタル社会の発展や、個人の発信が爆発的に増えた現代で

信仰そのものの説得力が薄れてきているように

私は思うのだけれど

 

 

そのデジタル技術が、信仰をサポートして

LINEグループで連絡を取り合ったり

信仰の情報や予約を、スマホで出来るようになったり

 

 

なかなかたくましい

ものすごい情報量で

日常を埋めつくしていく

 

 

私はその団体を退会して7年近くになるけれど

 

 

今頃、供養もお護摩も

祈りの修行も

ネット決済で申し込みできるようになっているかもしれない。

 

 

私が通っていた最後くらいには、

本部クラスの寺院では、

修行のチケットが自販機で頒布されていた

 

 

いやさ、すでに、スマホで法要に参座という

メタバース式典になっているやもしれない爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

いま、ニュースなどで、宗教も献金も問題提起されているからといって

 

 

ここぞとばかりに

信仰していることをネタにして、からかったり

 

その人を特定できる状態で、他人の宗教的なプライバシーを

明かしたりするのは

 

 

 

お行儀が悪いと思っている。

 


それは!それぞれの仕事とか


信念とか


それぞれが属している世界への


接し方が現れるから。




好きじゃないかもだけど

 


信仰そのものを大切にする自由は

尊重し、守らないといけないと思っている私ですが

 

 

信仰している人に対して

私がよく言っている悪口がある。

それは

 

 

私が目の前にいるのに

神様の話ばっかりしてんな!(笑)

 

です。

 

 

これは、私が信仰しているときから

そう思ってました。

 

 

だから、最初から

 

 

 

信仰不適格者だったのかもしれません。ショボーン

 

 

 

 

 

 

いやーーー

 

目ぱちくり

 

 

自分って、感情がそれなりにあって

喜怒哀楽、あるもんだと思ってて

 

 

怒っていい、泣いていい、笑っていい、寂しがっていい

 

 

 

そう思って、生きてるわけだけど

 

 

 

 

以前付き合っていた人と

久しぶりに、LINEでやりとりして

 

 

たら

 

 

なんかずーーーっと

不機嫌だし

 

 

 

延々と、なんか腹たててるし

 

 

 

いいかげん、もう

早く会話やめたい・・・・・・

 

テキトーに終わらせたい

 

 

 

 

そんな感じがして

 

なあなあの言葉を探し出してた。

 

テキトーにあやまっとこ

 

とまで思った。

 

 

 

 

そんな不機嫌な人の相手をしてて、

楽しいわけも無いので

 

 

 

別に私が悪いわけでもないし

 

完全にやぶ蛇で

 

 

 

この話

早く終われ

早く終われ

 

 

 

と、(笑)

 

 

ずーーーっと、思ったよ。

 

 

 

あーーー、メッセするんじゃなかった!(^^;)

 

 

って、一行目の返信で

後悔した。

 

 

 

 

あーーー、やだな

 

めんどいな

 

 

 

 

しおれる かまた。。。。。。

 

 

 

でね、ふと気づいたのは

 

 

 

 

付き合っていた頃、この人は

 

ずっとこんなだったんだよ

 

 

 

 

ずっと、こんな感じで

終わりの無い、不毛感があった

 

 

 

わたし、それに付き合って、なんとか

 

いいこと言おうとがんばってた

 

自分の語彙が足りないんだと

相手のことをわからないんだと

 

 

 

合わせようとしていた。

 

 

 

 

そのことに気がついたんだ。

 

 

 

 

 

今日はさ、わたし

 

 

「あーーーー早く終わらないかな」

 

「もう何言ってもだめだ」

 

「なんでメッセしちゃったんだろ 反省」

 

 

 

 

って、さっさと諦めた。キョロキョロ

 

 

 

 

相手は、同じなんだよ。

 

 

 

 

でも、私の、受け取り方が、ちょーーー

 

いい加減になってた

 

 

 

 

 

「早く終わらないかな~」

 

 

 

って、私の人生の中で、こんな風に

意識して思ってことって、

なかったんだよ

 

 

どんな人の気持ちも、そのまま受け取ろうって

 

相手が怒ったら、なだめよう

相手が楽になることを考えよう

 

って

 

 

ずーーーーっと、そうやって

生真面目に相手と接してきた

 

 

58年間

 

 

 

 

 

それがいいと思っていた。

 

 

 

しかし、

よわい58にして、

ようやく他人の不機嫌に気がつき

 

「早くこの話終わらないかな」

・・・・と

避ける自由を

獲得・・・・・した!!

 

 

 

「早く仕事したい」

「早くLINE終わらせて、コーヒー飲みたい」

 

 

 

すげーーーー

わたし、すげーーーー

 

 

 

こんな魔力を手に入れたぞ(笑)

 

 

 

 

でね、ふと

 

思い出したんだ

 

 

 

 

以前付き合ってたひとの不機嫌

 

母親

 

あの人、この人

 

 

 

不機嫌やったーーーーーーーびっくりマーク

 

 

 

同じやん

 

 

 

 

 

あたし、ずっと、うんうん、て

真摯な顔して聞いていた

 

 

 

そうすれば相手は、怒りが収まるのかと思って・・・・・・

 

 

ちがうんだ

なにもかも、ちがう

 

 

 

はやくこの話、終わらせて

 

 

 

楽しいことしよ!!

漫画かこ!!

 

あーーー、好きなことできるって、

しあわせだな

 

 

 

それでよかったんだ

 

 

 

これが幸せ。

 

 

好きだった人との会話を

早く終わらせたいという

ある意味 贅沢(笑) 

選択肢

 

 

 

なんか、あの人も、この人も

 

よく怒ってたな

 

 

 

私にっていうわけではなくて

 

 

 

何かに

 

誰かに

 

多分、その人の感情表現の癖みたいなもんで

 

 

 

 

その癖みたいなもんを

わたし、深刻に受け取っていたんだよね

 

 

 

それは、その人の問題だし

癖なんだから、問題ですらない

その人なりの表現方法ね

 

 

で、それを相手してくれる人との

コミュニケーションなわけね

 

 

 

そして、わたしには

相手の不機嫌が・・・・

自分に与えられた課題だと思ってしまう癖がある

 

 

わたしなりの癖。

 

 

 

あーーー、そうだったのか・・・・・

需要と供給していた

 

そうかーーーそれはお疲れ様でした

 

 

 

 

もちろん、私だって怒ることあるよ

 

意味なく急に怒りがわいてきたり

することもある

 

 

相手によっては、ちゃんと言うし

 

口に出せないときは、

紙に書いたり、腹の中で言葉にしたり・・・・・

なるべく、しっかり感じるようにしてる。

 

 

案外、「え、そこ!!」

 

って気づきがあって

 

 

すごい腹落ちすることもあるので

 

実は怒りって、おもろい性質の感情だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「あーー、早く終わらないかな」

 

 

 

 

彼の話を

 

先生の説教に飽きる

不真面目な子供のように

 

受け止めることができて

 

 

 

あ、わたしいま

 

正直になれてる

 

って、気持ちよかったの

 

 

 

 

 

幸せーーー照れ

 

 

 

 

ほんとうに、そう思ったんだよ。