◆西寺町通

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東大路通の一筋西に位置する南北の通り。北は二条通から仁王門通まで、途中交差する通りのない延長300m足らずの通りである。宝永の大火のあと、寺町通の荒神口から二条通の間に位置した寺院が移転して開かれた。現在も町名となっている正住寺ほか、両側はすべて寺院によって占められ、民家は無い。南には筋交いに新高倉通が孫橋通まで伸びる。

対になる東寺町通は、東山通(現在の東大路通)の建設により吸収消滅した。

 

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<補足>

◆仁王門通
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仁王門通(におうもんどおり)は京都市左京区の東西の通りの一つ。鴨川東岸に位置し、西は川端通から、東は白川通との交差点から南東に進み三条通と合流する。

 

◆概要
三条通の蹴上交差点から東大路通までは2車線の広い道で三条通のバイパスとして機能している[1]。琵琶湖疏水を隔てた北には岡崎の文化施設の並ぶ一角がある。東大路通から川端通までは西行一方通行の狭い道で住商混在の通りである。

仁王門通の名称は沿道の頂妙寺の仁王門に由来するという。

◆鴨川東岸の南北の通り
宝永5年(1708年)3月に起こった火災(宝永の大火)のあと、御所の拡張に伴う寺院および丸太町通北側の町の移転により、鴨川東岸の仁王門通を中心に、二条通・仁王門通間と仁王門通・孫橋通間に南北の通りが開かれた。