むかで

「なあ、おにいさん、おれなんかよう、昔はなあ、昔?昔って、人間に腐ったリンゴぶつけられて、頭に当って一週間意識不明になる前だけどさ、黒々した、つやつやのからだでさあ、おれを一回見た人はびっくりして手をひっこめて首をすくめてよう、顔しかめて後ずさりして逃げてったもんよ。十年ぐらい放っておかれたぬかどこをみたときみたいにね」。

「それでさあ、おれににらまれたチャバネゴキブリなんか瞬間冷凍したみたいにその場で固まっちまってさあ、一口でガブッて咬んで片付けちまったもんよ。コオロギつかまえんのもうまかったんだぜー」。

「ところがよー、ここ一年くらいちょっと様子がおかしいのよ。まっすぐ歩こうと思ってもよー、足が・・・前の足と後ろの足と、右と左とでよー、ばらばらに動いてんのさ、それで前に行けなくなったのよ」。

「右に行こうと思ったら後ろに行くし、後ろに行こうと思ったら左に行くし、左に行こうと思ったら前に行くのよ。だから前に行こうと思ったらさ、一回頭でね、『左に行くんだ』って思わなきゃなんねーしさ、これも、二三日くたびれてじっとしてると忘れちまうし、一回足がこんがらがったら手足ばたばた動かしてもどっちにも行けなくて、しまいにひっくりかえちまったりしてよー。恥ずかしいけどな。」

「だからさー、最近は昔は自分があっという間にしとめてたクモにもバカにされてね、おれの足を糸でからましてころばそうとなんかしてね、なめられてるわけよ」

「それにさー、あいつらいつまでもおれのことを親の仇って覚えててねー、おれが足動かすの間違ってこけて裏返しになって足バタバタさせてたら糸でグルグル巻きにして動けないようにして・・・、親の仇を取ってついでにおれを自分のえさにしようとしてさー。」

「すぐ殺すんじゃなくて、動けなくて苦しみながら死ぬのを見ようなんてしてさ、あのとき偶然、クモの巣にチョウチョがひっかかって、あの執念深いクモの野郎がチョウチョの始末に行ってくれてなかったら今頃こうしちゃいられなかったよね・・・。え?もちろんあのチョウチョにゃ感謝してるさ」。

「だけどさあ、もう半年も、生きたとかクモとかコオロギとかつかまえることなんかできなくてさ、腹は減るし・・・、でも恥ずかしいからみんなに見られないように、夜こっそりゴミ捨て場行ってさー、捨ててある魚のアラなんかかじってすきっ腹をごまかしてんのさ。おれも落ちぶれたもんだよなー」

 「それでこのごろよく忘れることも多くなってさー、昔は自分の親戚10000匹いてもだれが誰だか名前もわかったんだけどね、このごろは身内の100匹くらいしかわかんなくてね・・・」。

 「ところであんたちょっとどこの出身だったって?ええ?京都から来たの、どうりでしゅっとしていい趣味のからだのガラだねえ。茶色の模様が渋いし・・・。大分長生きしたんだろうね。おれの五倍の体の長さはあるし、うろこまで生えてさあ、頭も三角にふくらんでるから大分賢くなったんだねえ」。

 「だけどあんた歩きすぎだよ。きっと。だって足がすりへっちゃっててさ、ってゆうか足がないじゃない。それじゃからだ曲げたり伸ばしたりして歩くしかないだろ。それであんたもおれとおんなじで食いしん坊らしいね。そんな大きな口してさ、顔の幅といっしょの大きさの口なんて・・・。おれもけっこうくいしんぼうだけどあんたみたいに口は大きくなんなかったなあ」

 「それであんたの一家はなんていうの?え?言いたくなかったら言わなくてもいいけどさ。でも、そんな大きな口あけるんだったら言っちゃ・・・」

 (パクッ)