《第5回 Chaiさんレポート 2》
昨日の記事にて、コラボ企画のテーマであった「ラストバトルシーン 小雷 vs 金川」調査報告は完了しました。
今回の記事は、研究レポートではなく、Chaiさんの「コラム」となっております。
肩の力を抜いて、お楽しみください!
Fanks!!
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Ⅱ. (コラム)ジャッキーが抱く
『成龍拳』に対する嫌悪感の原因
レポートの冒頭でも触れたが、ジャッキーは『成龍拳』対して、相当良くない印象を持っているようである。自伝における彼の口ぶりは「積年の恨みつらみ」が字面からにじみ出て、読んでいるこちらもつらくなるほどである。
それにしても、なぜジャッキーはここまで『成龍拳』に対して嫌悪しているのか?
この答えは、先般発売されたばかりの彼の自伝に書かれていた。
この自伝は全編中国語で書かれており、まだ日本語版は出されていない。
よって、この情報を知っている日本人もそこまで多くないと思われる。
当然、ここでその中身を全部知らせるわけにもいかないため、今回は『成龍拳』に関する部分くだりの、必要最低限で引用する。
「古龙看了我一眼,对罗维说,”我的剧本不是写给他的,我的剧本都是给岳华,罗烈的。大鼻子,小眼晴,他演不了我的戏。”
听了这句话,我的眼眶一瞬间就充满了泪水,不知道该怎么办,只能在心里跟自己说,
忍住,忍住,不能哭。」
(『我是成龍』(ジャッキー・チェン,朱墨,2022年,p.90)
Chai・意訳:
古龍は僕をチラッとみると、ロー・ウェイに言った。
「私は彼のためじゃなくて、岳華や羅烈のために脚本を書いたんだ。
デカい鼻、ちっちゃな眼、彼に私の作品は務まらんよ。」
それを聞いて、僕の眼は一瞬にして涙でいっぱいになり、どうしていいかわからず、ただただ、心の中で自分に言い聞かせた。こらえろ、こらえろ、泣いたらダメだ、と。」
これは、今年の9月に出版されたジャッキーの最新版自伝『我是成龍』に記述されている『成龍拳』制作秘話の一節である。
『成龍拳』の原作が武侠小説であることは何度も説明したが、まさにその原作者・古龍とジャッキーが顔合わせした時の状況が書かれている。
ロー・ウェイは、古龍の書いた小説『剣・花・煙雨江南』を気に入り、ジャッキー主演で映画にしようと考えた。
しかし、当時の古龍は金庸に続く武侠小説家としてノリに乗っていた時代。
古龍のもとには、作品を映画化しようとする映画製作者がひっきりなしに訪れていて、まさに「古龍争奪戦」が繰り広げられていたようである。
そこでローは、なんとか彼の作品の映画化権利と、古龍自身が書き下ろした脚本を得るために、ジャッキー同伴で古龍を接待したのだが……
この先の説明は要らないだろう。
そう、そもそも『成龍拳』は、ジャッキーに不似合いな脚本であると、原作者本人から言い渡されていたのである。
しかも、その理由を「容姿」だと指摘されたジャッキーは、どれだけ悔しい思いをしたか。
いまでこそ、ジャッキーの鼻は彼の「チャームポイント」「トレードマーク」ともいえるが、こういう話を聞くたびに、なんともやるせない思いがする。
彼はそもそも、アクションを武器に映画界に入ってきたのだ。
その出鼻をくじくような強烈な言葉であるが、芸能界とはそんなものなのだろう。
「見た目」が良い人からチャンスは回ってくる。
だからこそ「見た目」勝負ではない人はひたすらチャンスをうかがい、耐え忍ぶ。
ジャッキーは涙をこらえて、ロー・ウェイにいわれるがまま、古龍の接待を続け、映画にも出演したのかもしれない。
映画を撮る前からこんな不快な思いをすれば、ジャッキーが『成龍拳』をコケおろす理由もわからなくもない。
「プロットは馬鹿馬鹿しいほど複雑」といったのも、半分は古龍に対する恨み節もあったかもしれない。
(筆者であれば、1度くらいは古龍のわら人形を作ったかもしれない。
そして、奴の小説は一生読まないと心に誓っただろう。)
ジャッキーのつらい思いは十分に受け止めた。
それを承知の上で、あえてジャッキーに言いたいことがある。
どうかもう、『成龍拳』を許してあげて欲しい。矛を下ろしてほしいのだ。
確かに、ジャッキーにとっては辛い想い出があるのかもしれない。
しかし、映画の内容とは別の話である。
ジャッキーの『成龍拳』ボロクソ評価は、筆者の望むことではなのである。
筆者は思う。
ジャッキーは嫌々だったのだろうが、彼は『成龍拳』の小雷を立派にやり遂げたと思っている。
あのヅラ剣士姿も、なかなか堂にいっていたではないか。
ラストバトル、申一龍との攻防も見ごたえがあった。
さらに言えば、あのロケ地である!
現在「世界遺産」となった『成龍拳』のロケ地。
そんな場所で飛んだり跳ねたり……金川が頭をぶつけた石像(武官像だそうだ)も、今じゃ決して、登ることなど許されないだろうから。
そう考えたら、とんでもなくレア映像に見えてくるではないか。
そういう意味でも『成龍拳』は、一定の価値を持ったと思っている。
※補足的に言うと、筆者は『成龍拳』日本劇場版のサントラが大好きなのである。
だからこそ、これ以上『成龍拳』が駄作扱いされるのは悲しい……
最後に。
当時の古龍は
「ジャッキーのために書いた脚本じゃない。
岳華や羅烈の為に書いたんだ」
などとほざいていたが、今はどうだ。
10年後、20年後には、逆に岳華や羅烈がジャッキー映画のサブキャラとして名を連ねた。
※羅烈は『サイクロンZ』『奇蹟(ミラクル)』、岳華は『レッド・ブロンクス』に出演。
そして、ジャッキー・チェンは、世界が認める超超スーパースターとなった。
この様子を古龍が見たら、何を感じるだろうか。
既に鬼籍に入った古龍に聞くことは叶わないが、恐らく「ジャッキー!キミの為に脚本をかいたよ!」とすり寄ってくるだろう。
その時ジャッキーは、何と答えるだろうか?
その妄想の答えは、読者の方々にゆだねることにする。
(終)
Ⅲ へ つづく (本日 19:00公開)
Chai
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ホント、ジャッキーのこの頃の作品に対する……というか、ロー・ウェイ時代の作品に対する発言は、かなり酷い。。。
やはり、自分に合わない作品、役柄を押し付けられた事もあるだろうし、「ジャッキー・ジャック事件」が大きく影響しているかもしれない。
ちなみに、この「ジャッキー・ジャック事件」に関しても、Chaiさんと私は意見交換をしている。
また、日本のファンも、この事件の事や、ジャッキーの自伝等で、ロー・ウェイに対して良い印象を持っている方は少ないのではないだろうか?
確かに、監督でありながら、現場に来なかったり、来ても競馬のラジオ中継を聴いたりと、色々と問題もあったようだが……今一度、ロー・ウェイ時代の作品を振り返ると、どうだろう?
バラエティーに富んではいないだろうか?
私は、別にロー・ウェイの熱烈なファンではないし、フォローするつもりはないが、彼は本気でジャッキーを売ろうと必死だったと思う。
この「成龍拳」もそうだ。
この作品の原作・脚本が古龍であるというのもそうだし(Chaiさんのレポートに詳しく書いてるよね!)、既に人気者であった徐楓とダブル主演にした事を見ても明らかだ。
もちろん、ロー・ウェイカンパニーの経営者であるワケだから、企業努力として、当たり前と言えば、当たり前なのだが、このことで、ジャッキーは色んな役柄を経験出来たし、人としとも成長出来た筈だ。
私は、ロー・ウェイ無しに、今のジャッキーは無かったと思う。
実際に、特に私と同じ年代の方は、このロー・ウェイ時代の作品を観ては喜々とし、ジャッキー沼という底無し沼に、「ロンドン橋落ちた」を唄いながら、ハマって行った筈だ! あ、ゴメン、「ロンドン橋落ちた」はGH作品だ(笑)
80年代の日本で起きたジャッキーフィーバー!
これも、ロー・ウェイ無しに語れない!
だから、ジャッキーもさ、もう、頭髪も寂しい年 酸いも甘いも知り尽くした年なんだから、そろそろ、ロー・ウェイ時代を楽しく語ってもらいたいものだ。
……まぁ、自伝に書けない、もっと酷い何かがあったのなら、ごめんなさいだけど。。。
Fanks!!