ダメパラ・月影のイルーナ日記@帝都ティーナブルグ -24ページ目

ダメパラ・月影のイルーナ日記@帝都ティーナブルグ

コミュ障のため野良パテできません(*ノ▽ノ)
めんどくさがりのため連戦あまりしません(*ノ▽ノ)
ワールドパルルにて、まったりのんびり傭兵団の活動頑張ってます♪

仲間に感謝の日々☆




あの日と同じ青空の広がる日曜の午後、7年前の事を思い出しての一人語り。
稚拙かつ、乱文、そして至らぬ点があることで御気分を害される事があるかもしれませんが、御容赦頂けると嬉しいです。




5月に人的支援で福島県いわき市へ。
3.11のあの時からの自分の思い、そして被災地で見た光景、触れたもの、感じたものは、これからも一生忘れることはないし、その気持ちは昨年に僭越ながらも書かせて頂いた。


あれから3ヶ月後の話。


夏休みを利用して、再び人的支援に向かおうと思い、3か月前にお世話になったボランティアセンターに連絡を入れる。


『あの時、全国の皆様に力を貸して頂いて、少しずつ復興していっております。本当にお世話になりました。』

どうやら、少し前から外部のボランティアの受け入れは行っておらず、その地に住む人が自分達自身で街を復興していこうとなっているらしかった。

そしてこう続けられた。

『お盆休みということもあり、ボランティアの受け入れはしておりませんが、もしよろしければ、復興を続ける福島をぜひ見にいらしてください。』

…GWのボランティアから引き上げる時に、1つだけ心に決めていた事があった。


いつか今より元気になった東北に会いに来る事。


あの時と違い、4日分の着替えとタオル、軍手と作業着というリュックに収まる程度の簡単な荷物。そしてギター1本。

ギターなんて不謹慎かもしれないが、これが1つあるだけで、よりたくさんの人達と出会い、交流することもできる。
不必要なら送り返せばいいだけと割りきって持っていくことにした。


3ヶ月ぶりに福島県のいわき駅に降り立つ。


駅を降りてすぐ目に入る光景。
地盤沈下など、やはり当時の傷痕はあちこちに見られるものの、わずか3ヶ月で駅前の復興がかなり進んでいた事に、何とも言えない思いで胸がいっぱいになる。


3ヶ月前より少しずつ元気を取り戻した街を見て、そして感じて歩き、かつてお世話になったボランティアセンターへ向かう。

辿り着き、3ヶ月前にお世話になった責任者の方と再会することが出来た。

金髪のボランティアというのは印象が強かったらしく、何となく覚えていてくださったらしい。

今の被災地の事など、色々と話を聞かせて頂いた。

『被災地の姿、現状を1つでも多く知って、そして感じたものを身近な人達に伝えていってください。3.11という出来事を風化させないことが何よりのボランティアになりますから。』

3ヶ月前と同じ言葉を頂き、これからも応援していきますと伝えて、ボランティアセンターを後にした。


被災地の姿を、そしてあの時より少しだけ元気になった東北をこの目で見るために、あちこちを巡り、気に入った場所でギターを弾いた。


三日目にいわき市に戻り、隣の湯之元駅前。
きれいな夕暮れに、ギターを取り出し歌っていたら、二人組の中学生くらいの少年が物珍しそうに寄ってきた。

知っている曲なのか、手拍子を入れつつ聴いていた。

歌い終わった後、ちょっと照れた笑顔で話しかけてくる。

大阪から来た事を告げると、少し自嘲気味に笑いながら問いかけてくる。

『何でまた大阪から、わざわざこんな放射能だらけの街に来たんですかw?』

『そうそう、誰も来たがらないくらいなのにw。』


そうか、これが被災地の真実なんだ。
そう思うと、自然と言葉が出てきた。


『だからこそ来たんですよ。』


二人のキョトンとした顔に、再び自然と言葉が出てきた。


『本当に良い街ですね、大好きな街です。』


二人で顔を見合わせた後に見せてくれた、照れたような、そして本当に嬉しそうにはにかんだ笑顔は今でも覚えている。

たとえ傷ついても、この街を誇りに思い、そして愛している気持ちが伝わった。

別れ際に、大阪から応援し続けると約束をすると、再びはにかんだ笑顔を見せてくれた。

今でも、ギターを弾く時に、あの4日間を、そして、あの時の少年達のはにかんだ笑顔を思い出す。

あの日の少年は、今も元気にしてるかな?


この4日間、ずっと肉や米、そして自慢の海産物も食べ水を飲み、そして時に雨にズブ濡れになって、そして温泉に浸かって疲れを癒した。
たった4日間だったかもしれないが、それでも元気に歩いて各地を回ることができたし、福島県の良さ、そして東北の強さを知る事ができた。

そして、たくさんの人達と交流する中で、被災者の方々が、被災地となった自分の街を強く愛し、誇りに思う気持ちに少しだけかもしれないけど触れる事ができた。



あれから7年。
福島県に行く機会が無いままに7年が経ってしまったが、いつかまた必ず、元気になった、さそして本当の姿を取り戻した福島県に会いに行く。


そして、3.11の記憶を風化させない事。

悲惨な出来事があったという事だけでなく、人間の強さや優しさ。
教科書の中でしか知ることが出来ない世代達に、そういったものを伝えていきたいと思う。




まとまりもなく、配慮の無い表現もあるかもしれませんが、もし不快に思われた方がおられましたら、心よりお詫び申し上げます。

最後に。
犠牲になられた方々の御冥福を祈らせて頂くとともに、被災された方々へのお見舞い申し上げると共に、これからも遠く離れた大阪から、自分にできる支援を続けていくことを約束させて頂きます。