私は、これから先、の事はきっと言わない。
大好きで、大事だけど、ずっと付き合っていきたいけれど、多分何をされても、ずっと好きでいるけれど、――例えば其れは離れた後かもしれないし、縁が切れた後かもしれないし、切られるのかもしれないし、切るのかもしれないけれど―、それでも多分、好きではいると思うんだ。絶対言わないけれど。
私は多分、私が思うほど、信じていない訳では無いのだろうけれど、これから先を信じていない。
だから今を積み重ねるんだ。”今”がずっと続けば、それはちゃんと”これから先”と同じになるから。
信じる、ってことは容易くない。今、そうでも、明日、そうじゃないかもしれない。明日そうでも、明後日にはもう違うかもしれない。
確かに今は確実にそうだったとしても、人の気持ちは移ろうものだから。
始まりと同時に終わりを思うのは、叩かなくていい石橋を叩いて割ってしまうのは、唯其処に不安があるから。期待して裏切られる――期待自体勝手にしている事なのだから、勿論それは裏切りなんかじゃないのだけれど――、唯、それが怖いだけなんだと思う。その恐怖は理屈じゃないから、その恐怖の根源を何とかしないと無理なんじゃないかと思う。
妥協点の見出し方か、折り合いのつけ方を理解出来れば、或いは。
―――信じる、の重さはどれくらいなんだろう、となんとなく思う。
誰かを信じる、重さは多分、とても重い。本当に死にはしないだろうけれど、裏切られたら死ぬんじゃないかと思う位に(戦いの最中に背中を誰かに預けるのと、同じ位に。いっそ可笑しな程盲目的―)。思ってしまう位に、たぶん重過ぎるくらい、重い。
だからきっと、軽く、とても軽く、信じろ、と言われると、同じ重さに思えないから、解ってない、と思ってしまうんじゃないかと思う。
信じる、の重さはどれ位?
思考を閉ざすのは呼吸を止めるのと同じ位、不自然で容易い事