阪神淡路大震災から13年が過ぎました…
阪神淡路大震災から13年が過ぎました…
昨日ブログに書こうと思ったのですが、何だか辛くて上手く書けませんでした。
当時私は高校1年生でした。
ぐっすり眠っていて突然の物凄い音でびっくりしました!
神戸では地震は珍しいので、最初は地震だとは思わなかったです。
寝ぼけていたし、とにかく驚きました。
そのうち大きな揺れがきて本当に心臓が止まるかと思って…
部屋の中のタンスやら本棚が倒れてきて、慌てて飛び起きました!
私の部屋は2階です、下の両親の所へ降りて行こうとするのですが、
怖くて動けなかったんです…腰が抜けるってあんな状態なんですね…
窓ガラスは割れるし、重いテレビも台から転げ落ちています。
何とか下へ降りて行くと台所が凄い状態!
ほとんどの食器が食器棚から落ちて割れていました。
両親もただただ呆然としていました、何が起こったか解らないんです。
テレビを付けると、ニュースの第一報が流れていて、
神戸で大きな地震が発生したらしい…とのこと。
でも詳しい事は全然わからないんですね、オロオロするばかりでした。
父が慌てて何処かへ大声で電話していたのを覚えています。
後で知った事なんですが、私の家は震源地に一番近い場所なのに、
ほとんど被害が無かったんです、地震当初は電気も電話も通じていました。
すぐに繋がらなくなったのですが…。
家も無事でした、ご近所もそれほど大きな被害は無かったんですね。
その日のうちに高砂の親戚宅へ避難させていただきました。
高砂市は神戸から西の方角で、地震の被害はほとんど無かったそうです。
とにかく、どこにも連絡が取れないし、どうしていいのか解らなくて、
父の車でお昼過ぎには出発したんです。
大きな余震がくる…って誰が言うとも無く噂が広がっていて怖かったです。
その後の模様を親戚宅でテレビで見て、信じられないような感じでした。
見慣れた神戸の風景が、まるでSF映画のような画面なんですね、
これは、とんでもない事になったんだなぁ…と呆然とするばかり。
その後、1カ月ぐらい親戚宅に居候させてもらって自宅へ戻りました。
私はそこからの記憶があまり無いんです…
学校がいつ再開されたのか、どうやって歩いて片道1時間も通ったのか…
毎日どんな感じで過ごしていたのか…あまりもう覚えていません。
ただただ必死な毎日だったなぁ、なんて思います。
それでも、私達は家も無事で親戚宅へ避難したおかげで、
寒い思いをしていないし、食べ物にも困らなくて毎日お風呂にも入れました。
長く苦しい避難所生活を送られた方々は、さぞ辛い思いだったと思います。
学校の体育館には沢山の方々が避難されていました。
何よりもお亡くなりになられた多くの方々がいます。
両親の知人も亡くなりました…
父の取引先の方も、ご自宅が全壊されて避難所での生活だったそうです。
本当に辛くて長い時間を過ごされたのだ、と思うと心が痛みます。
神戸の街は地震の前よりも、綺麗なオシャレな街になりました。
新しい商業施設もできて、やっと賑やかな日常が戻ったような雰囲気です。
でも、まだまだ地震当時のままの状態の場所もあるんですね。
あの日から13年…長いようで短かった時間でした。
改めて、多くの犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
昨日ブログに書こうと思ったのですが、何だか辛くて上手く書けませんでした。
当時私は高校1年生でした。
ぐっすり眠っていて突然の物凄い音でびっくりしました!
神戸では地震は珍しいので、最初は地震だとは思わなかったです。
寝ぼけていたし、とにかく驚きました。
そのうち大きな揺れがきて本当に心臓が止まるかと思って…
部屋の中のタンスやら本棚が倒れてきて、慌てて飛び起きました!
私の部屋は2階です、下の両親の所へ降りて行こうとするのですが、
怖くて動けなかったんです…腰が抜けるってあんな状態なんですね…
窓ガラスは割れるし、重いテレビも台から転げ落ちています。
何とか下へ降りて行くと台所が凄い状態!
ほとんどの食器が食器棚から落ちて割れていました。
両親もただただ呆然としていました、何が起こったか解らないんです。
テレビを付けると、ニュースの第一報が流れていて、
神戸で大きな地震が発生したらしい…とのこと。
でも詳しい事は全然わからないんですね、オロオロするばかりでした。
父が慌てて何処かへ大声で電話していたのを覚えています。
後で知った事なんですが、私の家は震源地に一番近い場所なのに、
ほとんど被害が無かったんです、地震当初は電気も電話も通じていました。
すぐに繋がらなくなったのですが…。
家も無事でした、ご近所もそれほど大きな被害は無かったんですね。
その日のうちに高砂の親戚宅へ避難させていただきました。
高砂市は神戸から西の方角で、地震の被害はほとんど無かったそうです。
とにかく、どこにも連絡が取れないし、どうしていいのか解らなくて、
父の車でお昼過ぎには出発したんです。
大きな余震がくる…って誰が言うとも無く噂が広がっていて怖かったです。
その後の模様を親戚宅でテレビで見て、信じられないような感じでした。
見慣れた神戸の風景が、まるでSF映画のような画面なんですね、
これは、とんでもない事になったんだなぁ…と呆然とするばかり。
その後、1カ月ぐらい親戚宅に居候させてもらって自宅へ戻りました。
私はそこからの記憶があまり無いんです…
学校がいつ再開されたのか、どうやって歩いて片道1時間も通ったのか…
毎日どんな感じで過ごしていたのか…あまりもう覚えていません。
ただただ必死な毎日だったなぁ、なんて思います。
それでも、私達は家も無事で親戚宅へ避難したおかげで、
寒い思いをしていないし、食べ物にも困らなくて毎日お風呂にも入れました。
長く苦しい避難所生活を送られた方々は、さぞ辛い思いだったと思います。
学校の体育館には沢山の方々が避難されていました。
何よりもお亡くなりになられた多くの方々がいます。
両親の知人も亡くなりました…
父の取引先の方も、ご自宅が全壊されて避難所での生活だったそうです。
本当に辛くて長い時間を過ごされたのだ、と思うと心が痛みます。
神戸の街は地震の前よりも、綺麗なオシャレな街になりました。
新しい商業施設もできて、やっと賑やかな日常が戻ったような雰囲気です。
でも、まだまだ地震当時のままの状態の場所もあるんですね。
あの日から13年…長いようで短かった時間でした。
改めて、多くの犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。