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自作小説 Dr-BIG

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ジリリン。

玄関脇。腰の高さの靴棚の上に置いた黒いダイヤル式の電話が唸りを上げた。 

ジリリリリン。 

私は、電話を取ろうと手をかざすように掌を黒電話に突き出す。 

ジリリ・・・


「はい」

私の声を待っていたかのように、声が聞こえる。 

低い、男の声がした。 

ごもごもと耳に障る、その声が呼んだ名前には聞き覚えがない。

「いえ」


私はハードボイルドが似合うような探偵ではない。
 

「いや、違います」


ピザの出前でもない。
 
それに公共救急電話でもなければ、クレーム対応のコールセンターでもない。
 
受話器の男の声は、声量を増やして吐き出した。


「じゃあ、お前は誰なんだ」


「私は・・・」


そこから、言葉が続かなかった。


― 1年前


 『あぁ、ンッ』

エホッゴホ、鼻の奥を強く刺激する薬品の匂い。

普段では出したことがない野太い声に交じった、咳。

暗闇から瞼を薄く開けると、体を覆う重圧感は更に強く感じた。

 『ん?』

背もたれと腕置きが付いた、私の暮らしからしたら豪華な椅子。 その椅子の接地面を通り抜けるように、床へと強く押し付けられているような錯覚まで抱いてしまう。

 『イテテ

全身で受ける痛みと、苦しみ。

その重圧感は、思い返すまでもなく普段の生活では経験したことがない。

自身の体重と照らし合せたところで比べものにならないほど重く、痛みにも近い辛さが生じていた。

 『情けないな、私は』

ふと浸る感情の行き着くところは決まって、後悔だ。

どうせ、また。そんな言葉が闇夜を走り去る車の残光のようにパッと光を取り出して、いつまでも薄く伸びて尾を引いているように見える。

あの残像と言われる感じ。

確かに、似ていた感覚だった。


「体が、痛い」


記憶にない痛みは、ジンジンと体の中に染み込んで行った。

幾度も経験した二日酔いを頭の中で思い返すように、重ねてしまうのを“慣れている”というのも可笑しい話だが、それほどに感覚すらも伴うまでに達していた。

正面に向くコンクリートの壁色から、視線を下へと移す。

ごちゃごちゃと自分でしか理解、いや自分でも理解できない光景が広がった。

でも、決して不慣れではない。

散乱する資料、研究に必要な道具。

机の上には、失敗した研究が山積みにされていた。

薬品のフラスコ、白衣を身に着けた自身が映り込み、疑問が湧いて出る。


  「二日酔いでは、ないのか」


次には声に出して、唱えていた。

 けれど、思い出せない。 瞼を閉じるように思いを照らしてみたが、光に照らされて飛び出たのは脳の画像だった。そのとき、どうして海馬の位置を思い出そうとしていたのか。

動機を付けられるまでもなく、瞬時になくした。

体は重く、未だ鈍い。

 『んーッ、駄目だ』

どうしても、思い出せない。

頭の中を覗き込んでいる訳でもないのに、グニャグニャしている脳のシワを思い出してからなのだろうか、気分が悪くなった。

しかし白衣のままで酒を飲みに出かけるという主義は、私にはない。


  「何が、あったんだ」

 

 不意を衝くように出た低い声に、体がフワリとなる。 

軽さだけではない、奇怪にすら似た異様な感覚。 

視覚だけで得られる情報だけでは、解決できない痛み。 
 思考は、単に疲れ果てているだけなのだろうか。 

 『んッ』 
立ち上がろうと力を入れてみるも、そう上手くいかない。
 もう一度、私は力を体内に注いでみる。 
 今度は力を入れる部位に順番を付け、それを追うようにしてから体に言い聞かせるように力を加えていった。
 

 そのときだ、玄関近くの靴棚に乗せた黒電話が私を呼んだ



ジリリン。
 
久しくならない黒電話に、いつの間にか慣れていた。
 

懐かしさの音色は、唸るように鳴り続ける。


ジリリン。
 

静寂を嫌うように、鳴り響く。

疼いた指先から力を足の先へと伝え、唇をも微かに動かしていると何度も脳の中へ直に響いてくる。
『えッ、どうして』
 

 反射的に体が軽くなった。
 

 けれど、まだ立つことはできないでいる。
 


 ジリリン。
 

 私を追い立てるように連呼する。
 

 そして呼び鈴が唸る度、私は彼の言葉を思い出してしまう。
 

 『カーズ。黒いダイヤル式の次代遅れは、流行には乗らないのだ。つまり私が
おい』と、親友のクラークが熱く吠えていたが。私自身、密かに気に入っていた黒電話だけに何とも言えないでいたことを、ついつい思い出してしまった。 
 悪戯に思えるほど、クラークは怒鳴っている様子を今でも頭に浮かべられる。
 
 アイツは、機械マニアでもあったんだ。
 
 いや、オタクか。



 
ジリリッ。
 そこで鳴りやんだ電話。
 

 しかし再び鳴りだす。
 

 ジリリリリン。

 そして、もう一回。
 


 ジリリリン。


 どうしてだろう、電話が焦っているように聞こえた。
 
 『はい、はい』
 

 そんな電話の呼び鈴に、私は投げやりな気持ちでいたんだ。
 

 不可解な痛みによるものなのか。


 それは考えもしない。
 
 『えッ』
 

 今にも消えてしまいそうに枯れそうな、音色さえも更に薄く聞こえてくると堪らず私の左手を伸ばして立ち上がろうと、体の中心を出た神経を末端へ巡らせると声までも思わず飛び出していた。

 「すっ」


  着地で震えあがる体に、息が漏れた。

  何故か、強く入れていない力だというのに体は、一瞬にして宙に浮んだ。


 「えっと」


 瞬間の出来事に、呆然とするしかなかった。

 宙を浮いた?

 理解などできない。


 「あッー。な、なんだ」


  焦り出した私は手を、体を見る。不器用な力の変化に、脳が処理しきれていないのだろうか。違和感で包まれる体全体を何度と見回す。伸ばした手がちょうど黒電話に当たったら、細く螺旋したコードがブラブラと揺れていた。 

 すると、足元から声が聞こえる。


 「あッー。な、なんだ。これは」


不器用な力の変化に、脳が処理しきれていないのだろうか。

 違和感で包まれる体全体に、取り損ねた受話器がコード伸ばしきってブラブラと揺れている。

 すると、足元から声が聞こえた。


「あなた?ちょ、ちょっと。あなた、ちゃんと聞いてるの?」


漏れるように聞こえる妻の声。

 掌ほどの黒い受話器。一方の先、小さい丸い穴から溢れ出る声を聴いて慌てていた私は、またもや何度と受話器を取り損ねてから、やっと耳に当てることができた。 

両足に纏わり付く違和感は、まだ拭えないでいる。

 プルプルと小刻みに震える足全体を見下ろして、受話器の声を耳に入れた。


「えっと、ヒラリー」 


「変な音がしたわよ。大丈夫?」


「ああ大丈夫」


「そう、ならいいわ」


「それで、どうしたんだい?」 


 「あっ、それで―。だからサーチェが…」

 

 突然、慌てているヒラリーの声色だった。 

 ヒラリー・タバン。 

 私の妻で、今は事情があって一緒には暮らしてはいない。


「えっと。まずは落ち着いて、いつも君はそうさ」

 途中、早口で聞き取れず全貌が把握できないでいた。 

 どうにか、妻を落ち着かせようとしたんだ。


 「あなたは、また。そんな悠長なことを」


 「待て、ヒラリー、話が全く見えないんだ。分かるように話してくれ」


 「ええ、分かったわ」


 「まずは深呼吸をして、ほら」

 

 「ええ」


 受話器を通して、静かに息を吐く音がする。
 ただ同時に、ヒラリーがここまで焦るのだからと異様な不安が体を徐々に覆った。


 「それで、どうしたんだい」


 「あなた。サーチェが」


サーチェ・タバン。

私とヒラリーの子供で、ヒラリーと共に暮らしている。


「サーチェがどうしたんだ?」


「学校から帰る時間なのに、帰ってこないの」


不安を煽るように話すヒラリーの声を聴いていた私は、視線を縦長の大きな掛け時計へ向けてみる。
長針は、大きく夕方の4時を超えていた。

『なんだろう』

 時計を見た瞬間、不思議な感覚に襲われたんだ。 先ほどの痛みは薄れていく、消えるというよりは馴染んだようにすぅっと体の奥の方へ流れているのだ。


「ねぇ、ちょっと。あなた、ちゃんと聞いているの?」


「ああ」


「ああ、じゃないわよ」


「ヒラリー。私は、ただ・・・」


 ただ自分へと起きた惨事を呆然となりながら頭の中で何度と映し出していながら、妻の声だけは冷静に拾っていた。


「ただ、何よ」


「ヒラリー。思い過ごしじゃないのか?」


「また。あなたは、心配じゃないの?」


「いや、そういう訳じゃ」


「帰って来ないの、もう30分もよ」


「30分か、でもさ…」


 「何よ、あなたはいつもそう。これまで、あの子が遅く帰ったことは今まで一度もないの。あぁもう良いわ、話しにならない。話をした私が悪かったの、このことは忘れてください。じゃあはい、切りますね」

 

「あ、いや、ヒラリー。待ってくれ」


「良いの、分かっているわ。カーズ、あなたは“そういう人”だって」


「ヒラリー、聞いてくれ。今からそっちに行くから、そこでまた詳しく話を聞かせてはくれないか?」


「まあ、いいわ。早く来てよ、サーチェが心配だわ」


「わかった」



 私は、受話器を銀の両方が二股に分かれた台に戻す。 

 体の痛みは、いつしか跡形もなく消えていた。 

 何だったのだろう。と、そんな考えている暇も、余裕もなかったんだ。 


 私は慌てていた。 


 季節も、日にちまでも。 


 忘れてしまうほど、気が動転していたことなど気にもしない。
 白衣を椅子の背もたれに掛けると、一度、部屋の扉を押した。

 静かに開いた隙間から、冷たい風が私に向かって吹く。


 「うわぁ、寒いな。もうこんな季節なのか」


部屋に引きこもり、研究に明け暮れていた私にとって新鮮にも近い。 
 妻から去年の誕生日に貰った藍色の厚手のジャケット、壁掛けフックから剥がし取って5階建ての3階にある、角部屋を飛び出した。
 
 家族に会える。

そんな儚さだけを感じながら、薄暗い地下街を進んだ。