私が小学校3年生だった1990年、大和市には民設民営の学童保育が数多くありました。
大和市における学童保育は、行政によるサービスとして始まったのではなく、親たちの「つくり運動」から市が動かされ、その後各学童の運営を市が引き継ぐ形で整備されていったからです。
現在、市内に民設民営の学童はわずかに3つ。私が小学生のころからある生え抜きの学童はそのうちの2つだけになってしまいました。
さて、先日西鶴間小学校区の学童保育わんぱくクラブ(私もここの出身です)に遊びに行った時のこと。指導員の先生が、1990年に出された市内の学童保育の記念誌をくれました。
そこにはなんと、当時の私が書いた作文が!
ぼくのいっている学童ほいくはわんぱくクラブです。
人数が多くてこまっています。
でも、西つるま小学校の校庭が広いのでみんなであそべます。よくやきゅうや、キックベースをしてあそびます。
週に一度ゲームをします。いつも室(※内)であそんでいる女の子もその日はあそびまくって、「ああ、つかれた。」と、いって帰ってきます。
友だちもできるしたくさんあそべる学童はすごくいい所だと思います。
わんぱくクラブ3年 町田れいじ
当時から学童保育の大規模化と保育環境の適正化に関心があったなんて・・・(笑)
しかも、ちゃんと名前が選挙用みたいにひらがなになっているし!
そして、何が一番不思議だったかって、この文章、縦書きで左上から書いてあったんです(写真参照)。
やはりちょっと変わった子だったんですね・・・私。
