0.2秒前には気付いたのだが | 世界は「ことば」でできている 〜文系講師の受験ブログ

世界は「ことば」でできている 〜文系講師の受験ブログ

講師生活27年文系プロ家庭教師のブログです。
家庭教師のお問い合わせ・ご紹介歓迎です。
2023年2月現在;生徒募集中
コメント欄(開かない仕様)ヤフーメールなどにお願いします
令和百人一首リレーの管理人です

小田嶋さんの「ア・ピース・オブ・警句」を、

私のSafariにブックマークしてあって、

いつもの感覚で押してしまった文系講師マゴメです。

「実際は押す0.2秒前に、

 小田嶋さんはすでに亡くなっていたことに気づきましたが」

「勢いで押しちゃいましたね」

 

怪我の功名というべきか、

小田嶋さんへの手紙が掲載されていました。

 

すでに亡くなった人への手紙という形式は、

個人的には嫌いなんですが。

 

いとこが通夜の席で、

亡くなった祖母への手紙を書こうとしようものなら、

 

「あ、おばあちゃん死んだとぞ?」

 

「お前には言っとらんかったか」

 

と言い出すような家庭・親族環境ですから。

 

ただ、

三通目があまりにも良かったんですよ。

 

東京女子大学学長の森本あんり先生。

ICUの名誉教授でもあると。

 

お二人は小中高の同級生であったらしい。

 

以下引用→

すでに何度か書いたことだが、わたしと彼は小中高と同級生で、とても親しかった。小田嶋は、昔から勉強ができて成績はいつもトップレベル。手先も器用で、ピアノもギターも見よう見まねでささっとできてしまう。

何でもできるけれど、特に何かを一心不乱に追求してその道の達人になる、などということはしない。

みっともないからである。

 ちなみに、古代ギリシアではこういう人を円環的な教養人と呼ぶ。たとえば、人は笛を吹く楽しみを知っていなければならないが、あまり上手すぎてはいけない。

熟達しようとすると、人間性の他の部分を犠牲にして努力してしまうからである。

引用ここまで)

 

この「みっともない」という感覚が、

「いかにも」という感じ。

 

さらに引用)

彼は、わたしが忘れていたこと、というより記憶の底に押し込めて忘れようとしていたこと、をぽつぽつと語ってくれたのである。

高校生のある日、例によって授業を抜け出したわれわれ2人は、学校の裏手に新しく地下鉄の駅が建設されつつあるのを見つけた。

現在の三田線千石駅である。

小田嶋の回想によると、その時わたしは、中へ入ってみようと言い出し、勝手にシャッターをがらがらと上げて、暗い駅の中へ降りていったという。

引用ここまでだっ)

image

続きは上記リンクからどうぞ。

 

おそらく誰にでも、

記憶の底に押し込めているものはあるんじゃないでしょうか。

 

困ったことに、

私はほとんどの記憶を鮮明に覚えているので、

時々思い出しては、

「うあああっっっ!」

となります。

 

 

↓ランキング参加しています、

↓クリックしていただけると、非常に嬉しいです^^

 

にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村 受験ブログへ