小田嶋さんの「ア・ピース・オブ・警句」を、
私のSafariにブックマークしてあって、
いつもの感覚で押してしまった文系講師マゴメです。
「実際は押す0.2秒前に、
小田嶋さんはすでに亡くなっていたことに気づきましたが」
「勢いで押しちゃいましたね」
怪我の功名というべきか、
小田嶋さんへの手紙が掲載されていました。
すでに亡くなった人への手紙という形式は、
個人的には嫌いなんですが。
いとこが通夜の席で、
亡くなった祖母への手紙を書こうとしようものなら、
「あ、おばあちゃん死んだとぞ?」
「お前には言っとらんかったか」
と言い出すような家庭・親族環境ですから。
ただ、
三通目があまりにも良かったんですよ。
東京女子大学学長の森本あんり先生。
ICUの名誉教授でもあると。
お二人は小中高の同級生であったらしい。
以下引用→
すでに何度か書いたことだが、わたしと彼は小中高と同級生で、とても親しかった。小田嶋は、昔から勉強ができて成績はいつもトップレベル。手先も器用で、ピアノもギターも見よう見まねでささっとできてしまう。
何でもできるけれど、特に何かを一心不乱に追求してその道の達人になる、などということはしない。
みっともないからである。
ちなみに、古代ギリシアではこういう人を円環的な教養人と呼ぶ。たとえば、人は笛を吹く楽しみを知っていなければならないが、あまり上手すぎてはいけない。
熟達しようとすると、人間性の他の部分を犠牲にして努力してしまうからである。
引用ここまで)
この「みっともない」という感覚が、
「いかにも」という感じ。
さらに引用)
彼は、わたしが忘れていたこと、というより記憶の底に押し込めて忘れようとしていたこと、をぽつぽつと語ってくれたのである。
高校生のある日、例によって授業を抜け出したわれわれ2人は、学校の裏手に新しく地下鉄の駅が建設されつつあるのを見つけた。
現在の三田線千石駅である。
小田嶋の回想によると、その時わたしは、中へ入ってみようと言い出し、勝手にシャッターをがらがらと上げて、暗い駅の中へ降りていったという。
引用ここまでだっ)
続きは上記リンクからどうぞ。
おそらく誰にでも、
記憶の底に押し込めているものはあるんじゃないでしょうか。
困ったことに、
私はほとんどの記憶を鮮明に覚えているので、
時々思い出しては、
「うあああっっっ!」
となります。
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