イスラエルの暴走が止まらない中、
日本国内やマスコミでは、
さぞ、
パレスチナへの同情が高まっていることでしょう。
文系講師マゴメです、こんばんは。
「書き出しは軽くスルーしてください」
受験ブログですから
今日はそれとはあまり関係なく、
中学受験に出る「生と死」について。
後でも書きますが、
最初に一応書いておくと、
「死」については、
「危険な一線」というものがあり、
それを飛び越えないことをオススメします。
「危険な一線って?」
誰かが死んだらどうしようというのは、
まだいいとしても、
自分が死ぬことは考えてはいけない
ってことですね。
「自分が死んでも世界は何事もなく続いていくのだ」
と小学生のときに実感してしまい、
心を病む女の子が主人公の小説があります。
「あれですね」「一時期よく出ていたアレです」
自分の死後がどうとかってのは、
考えても仕方ないんですよ。
どうせわからないんですから。
よくある言い方だと、
「一人称の死」ってやつですね。
これは問題ではない。
「三人称の死」も、
心が痛まないわけではないですが、
いちいち悲しんでいたら身が保ちません。
身近な人、
「二人称の死」がしばしば問題です。
「死者を悼む」
このときの気持ちが問われるわけです。
この「いたむ」というのは読めるようにしましょう。
「立派な人生だった」とか、
「さぞかし無念でしょう」とか、
「ご冥福をお祈りします」とか、
「ご遺志は私たちが受け継ぎます」とか。
「仇は討ちます」はあまりないはず
身近な人は亡くならなくても、
ペットの死が文章で出されることは、
たまにあります。
「縁起でもない!」
でもまあ、出るんですよ。
「愛犬が嫌がる治療はやめておこう」
と思いつつ、
「治療をすれば完治するんじゃないか」
という思いもあり、
飼い主の心が千々に乱れるという文章も、
最近出されてました。
「わかります・・・」
あるいは、
「両親を交通事故で亡くし、
衝撃のあまり現実感を失っている友人」に、
修学旅行のお土産を渡す話。
彼に頼まれていた母へのお土産を主人公が渡すと、
そこで友人がわっと泣き出すと言う話は、
確か以前も書きました。
お土産を渡す相手がもういないのだと、
そこで初めて実感したわけですね。
他にも、
「大切な人間」が亡くなった後、
昔の四十九日のように、
残されたものの心が落ち着くまで、
死者が生きているかのように振る舞う。
そういう小説もあります。
「なぜ題名を書かない?」
「こりゃきっと筆者はど忘れしていますね」
「心の準備ができていない」ので、
急逝はしばしば周囲を巻き込みます。
(青文字のところは語彙として覚えましょう)
天災や交通事故はそうですね。
あとは自殺。
「アイドルが自殺した後の後追い自殺」
なんて、
昔から流行っていたんですよ。
気をつけましょう!
スルーする力があればいいです。
自殺したくなるような出来事とか、
「魔がさす」ような危険な瞬間を、
ひたすらやり過ごす。
いいかたは変ですが、
やり過ごす努力をしたほうがいいです。
意識的にやらなければいけないってことでした。
”Keep Passing The Open Window"
「開いた窓を見つけても、
飛び降りてしまってはいけない」
「ホテル・ニューハンプシャー」です。
これはさすがに題名を覚えていました
ホテル・ニューハンプシャーって、
もうあまり読まれていないんでしょうか。
昔はもちろん単行本で出ていまして、
その手触りがとても好きだったんですが、
とっくに文庫で出ているようですね。
映画もありますからぜひ。
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