エリートがヤバイ 〜TOEIC満点が無意味な理由 | 世界は「ことば」でできている 〜文系講師の受験ブログ

世界は「ことば」でできている 〜文系講師の受験ブログ

講師生活27年文系プロ家庭教師のブログです。

令和百人一首リレーの管理人です

興味深いというか、

今さらかという記事が、

twitterで回ってきました。

 

 

「東大・京大・早慶→一流企業のエリートが『日本ヤバイ』と言う理由」

 

 

 

副題が「出世を求めるのはもうやめだ!」ですが、

これはあまり記事を反映していません。

 

私が考えるおすすめの副題は、

「英語の専門家になると英語が使えなくなる!」

かな?

 

英語がうまくなることに特化してしまうと、

(スピーキング満点はすごいけど)、

「英語を使って何を話すべきか」を考えない。

 

上智の教授(名前ど忘れ)が言ってましたね。

 

追記:スティーブン・ギブンズ教授でした。

 

(グローバルな会議の場に出席する日本人は)、

 仮に完璧な英語を話せたとしても、

 何をどう言っていいかよくわかっていないのだ。

 

 〜「二兎を追うものは一兎をも得ず」より

 

大学のグローバル化を批判した記事でした。

いずれ別の記事で書きます。

 

英語の「専門家」になってはいけません。

「使い手」にならないと意味がない。

 

「専門家」と「知識人」の違いについて、

(知識人というネーミングは反感を買いそうですが)、

佐伯啓思氏が語っていました。

 

「専門家」は言葉通り「専門」なわけだから、

ものごとの一面しか見ていない。

全体を見渡せる「知識人」が求められている。

 

競馬などのベタな例だとわかりやすいです。

 

元一流ジョッキーが馬券を当てられるわけではない!

みたいなことですね。

 

本当にベタで自分でもびっくりしてますけど。

 

私の仕事である家庭教師や塾講師に置き換えると、

 

「併願システム」だの、

「お得な学校」だの、

「過去問傾向からの出題予想」だの、

「入学してからのおすすめサークル」だの、

 

そういったことに詳しくなればなるほど、

最も重要なはずの、

 

「世の中の動向」

 

「受験者本人の適性や志望動機」

 

がおろそかになってしまう感じでしょうか。

 

また自分の首を絞めている気がしなくもないですが、

教師や講師に対して、

大切な我が子の将来の相談などしてはいけません

 

しょせんは「専門家」ですから

 

進学先を選ばせることすらも、かなり危険です。

家庭教師なら、

本人と距離が近いだけに、

まだ少しマシかも。

 

本人の隠れた適性を見抜くくらいはできますが、

世界全体を見渡せる「知識人」では、

もちろんないわけです。

 

そんなひとに将来を相談するなんて、

アンカツが勧める馬の単勝に、

全財産突っ込むくらい危険です。

 

 

まあ、相談しないか。

 

 

冒頭の記事に戻ります。

 

「エリートってのは知識人的役割を担うはずだったんだけど、

 いつの間にか単なる専門家になっちゃってたね」

 

これは明治にさかのぼって夏目漱石のスピーチ以来、

日本ではもうずっと言われ続けていることでした。

 

どれくらいヤバイかというと、

イメージとしては「周回遅れ」な気もします。

 

私たちが受けた教育といまの子供が受ける教育、

ほとんど変わっていませんから。

 

あえて言えば「アクティブラーニング」ですが、

昔からやっていた学校も多くありますからね。

 

ただ、記事の最後のページにある、

 

「自分から動いて相手を知ろうとする態度」

 

これはいまの子の方が「ある」んじゃないかと。

 

、、、、あくまでも一部の子、

しかもちょっとだけ、ですけど。

 

この辺に望みを託しつつ、

今日も仕事に行ってきます^^

 

 

↓ランキング参加しています、

↓クリックしていただけるとかなり嬉しいです^^

 

にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(指導・勉強法)へ