『愛をもって…』
『愛してる』
『愛してない』
『愛があれば』
『愛されたい』


『愛』って結局なんですか?

なんか恥ずかく感じますが、誰でも一度は思った事あると思います。


俺的結論は
『愛とは書いて字の如し』

『愛』って字は、『心』が『受』の中に入っていますね

『心』を受け入れ、包み込む事と認識しています。


たまに『溺愛』とか『執拗な愛』等の言葉を使った文面や、記事を目にします。

ストーカー行為等、『愛するが故に』と言い訳する方もいてるようですが、

それは『依存』であり『愛』にあらず。


愛している人間の、心を受け入れていない行為は、愛とよべないのではないでしょうか?

自分の思い通りにしたいだけの一種の物欲ですよ。



また
『あなたが死んだら私も死ぬ』

この文面でゆう所の『あなた』とゆう人物、
この人物は、はたしてそんな事を願っているでしょうか?
また『私』とゆう人物、自分のエゴをむきだしに相手に伝える行為、これは愛でしょうか?

自分が納得、満足する。

これは愛は愛でも、相手の心なんか無視してるようにとれます。
自己愛です。

間違いなく愛かもしれません。

ただし自己愛です。

この文面の『あなた』を愛してはいませんね。


精神年齢の低いうちは、そーゆー事をゆわれたら自我存在の必要性を感じ、嬉しく感じる時期もあるでしょう

しかしそれがすなわちダイレクトに愛されている本質とはいいがたいですね。

『あなたが死んだら悲しくてどうなるかわからない』

それはごもっともだと思います。

人間が感じるストレスNo.1は確か、1番身近な人間との死別だったような…



まぁ気持ちはわかります。他人を本気で愛した事のある人なら共通でしょう。


だがしかし、俺はこう思うんですが、

想像だけするだけでも辛いそんな悲しさは、愛している人に感じさせたくはない。
だから自分の愛した人よりは、長生きしなければならない。と。

そうする事により、愛した人が永眠についた後、墓を綺麗にしてあげたり、何か心残りがあるなら、引き継ぎ始末をつけてやる。

こう思います。


お互いが愛し合っているといえるならば、必然的にお互い長生きになりますね


自分がかわいくて自分を大事にするのではなく、
愛した人が愛している物を、自分も大切にしたい。
それが己ならば、己を大切にもしよう。

と思う




どんどん荒む現代社会。




人間の心も荒んできてますね




全ての人間に愛を持って接せれば、なおいいですが、
それはできなくても身の回りの誰か一人にでも、愛をもって接したいものです。