この地球に生ける人間の、余す事なく全員が、なんらかの精神病者であると思う。
人間がもちうる『感情』。
世間では、『普通でない感情変化や、自制できない精神』を、異常者とみなす。
そうする事により、自分はそうでないと優越感にも似た安息の大樹にもたれる。
しかし注目したいのは、
その人々は皆、己が精神を完璧にコントロールできているか否か。である。
腹が減っては食い、
睡魔に抗う事もできず、
思い通りにならなければ怒り、
悲しければ泣く。
楽しければ笑い、
性欲を満たす為、罪をも犯し、
欲しい物を奪う。
こんな人間が精神をコントロールできているといえるのであろうか?
感情が込み上げた時こそ、時と場合を見極め、自らの意思により開放、制圧できる精神力。
喜怒哀楽はおろか、三大欲求をも上回る精神力を持ち合わせてはじめて、『健全精神所有者』と呼べるのではないだろうか。
しかし『多数決=普通』の『一般人』からの観点だと、上記の人間はほぼ確実に『異常者』であろう。
全くおかしな話だ。
低知能の人間にいわせれば、
『感情ないんじゃあ機械じゃん』
とか、犬の飯レベルの発言が聞こえそうだが、感情が無いのではなく、制御できる精神。プログラムは可能でも機械に精神は存在できない。
人工知能は搭載できても、細胞分裂ができないのでは意味がない。
俺は精神とは、脳髄の中に存在するのではなく、全て、もしくは多くの有形細胞が通じ合い初めて存在できる無形物ではないかと思う。
無は、すなわち無限である。
人間は本来、無限の能力を秘めており、精神を制御する程度は造作もないはずである。
視野を広げ、相対的思考を持ち、考る。
自己主張を他人に押し付けてはならない。
ここでの俺の文面も、あくまでオナニー記録のような物である。
人間はそれぞれがそれぞれのペルソナ(個的特性)を持ち、それぞれが普通でありまた同時に異常である。
何がまともで何が異常か。
そんな事は大切ではない。
と思う。
人間がもちうる『感情』。
世間では、『普通でない感情変化や、自制できない精神』を、異常者とみなす。
そうする事により、自分はそうでないと優越感にも似た安息の大樹にもたれる。
しかし注目したいのは、
その人々は皆、己が精神を完璧にコントロールできているか否か。である。
腹が減っては食い、
睡魔に抗う事もできず、
思い通りにならなければ怒り、
悲しければ泣く。
楽しければ笑い、
性欲を満たす為、罪をも犯し、
欲しい物を奪う。
こんな人間が精神をコントロールできているといえるのであろうか?
感情が込み上げた時こそ、時と場合を見極め、自らの意思により開放、制圧できる精神力。
喜怒哀楽はおろか、三大欲求をも上回る精神力を持ち合わせてはじめて、『健全精神所有者』と呼べるのではないだろうか。
しかし『多数決=普通』の『一般人』からの観点だと、上記の人間はほぼ確実に『異常者』であろう。
全くおかしな話だ。
低知能の人間にいわせれば、
『感情ないんじゃあ機械じゃん』
とか、犬の飯レベルの発言が聞こえそうだが、感情が無いのではなく、制御できる精神。プログラムは可能でも機械に精神は存在できない。
人工知能は搭載できても、細胞分裂ができないのでは意味がない。
俺は精神とは、脳髄の中に存在するのではなく、全て、もしくは多くの有形細胞が通じ合い初めて存在できる無形物ではないかと思う。
無は、すなわち無限である。
人間は本来、無限の能力を秘めており、精神を制御する程度は造作もないはずである。
視野を広げ、相対的思考を持ち、考る。
自己主張を他人に押し付けてはならない。
ここでの俺の文面も、あくまでオナニー記録のような物である。
人間はそれぞれがそれぞれのペルソナ(個的特性)を持ち、それぞれが普通でありまた同時に異常である。
何がまともで何が異常か。
そんな事は大切ではない。
と思う。