『普通はそうじゃないだろう』


『普通はこうだろう』




いったい『普通』とは何か?

俺は
『多くの人間の言う普通とはただの多数決の形容であり、その物事の良し悪しを判断するべき場所で使うべき言葉にあらず』と見つけたり。


100人の人間がいて、うち1人が片腕がなかったとする。


多くの人間に『普通ではないのはどれか』と問うならば、片腕の無い人間を指さすのであろう。



愚かである。




答えは全員が普通であり、また同時に異常である。




少数派=異常ですか?



まったくくだらない。





多数決で物事を区別、差別するのが普通ならば、俺は喜んで『異常』『異端』でいい。



時代の流動により変化を伴う言葉ではある。


しかし相対的思考は知的生命体としてなくしてはならない。


己の無知なる物事を『普通ではない』と考える浅はかさ。


多くの人間はその過ちに気付けずにいる。



いずれにせよ無知なる畑については容易に己の物差しのみで使用してはならない言葉の一つである。


俺は自らを『自覚醒異端者』と称し、いままでを生きてきた。
そしてこれからもいましばらく続く。
この肉体とゆう蛋白質の折に縛られている限り。


『普通』の中に溶け込むことは、自らの異端を受け入れた者であれば容易。

無知故に『自分は普通で、あいつは異常だ』と口にする側の人間の愚かな事。

人間はそれぞれが異常である。