こんにちは
朱堂です
今回は、岐阜シリーズ
「岐阜城」です
金華山の山頂にあります
(住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18)
「岐阜城」は、旧名を「稲葉山城」といいます
室町中期までは、美濃国守護・土岐氏の城でした。
しかし、長井新左衛門尉・斉藤道三親子の下克上の末、
土岐氏は追放され、道三の居城となります。
その後、義龍・龍興と斉藤氏が三代続きますが、
信長の美濃攻めで龍興が追放されます。
それから約10年信長の居城となり、
信長の安土移転とともに嫡男・信忠が支配。
本能寺の変後は、池田恒興・元助親子、豊臣秀勝が入城し、
最終的に信長の孫・秀信が城主となります。
1600年、秀信が西軍に味方したため、
関ヶ原の戦いの直前に東軍に攻められ、炎上し落城。
焼け残った建物は、加納城に再利用されました。
岐阜城は岐阜のシンボルであり、栄華であり、誇りである
…本気で言ってますよ
岐阜近辺ならたいていどこでも見れますし、
歴史上で岐阜の名前が全国的に有名になるのは
岐阜城があった戦国期だけですから
ただ、残念なのは、何度も焼けていること
戦国時代だけでも2回(信長&東軍)、
昭和に建てられた模擬城も空襲で1回燃えています
江戸時代には廃城になっていたこともあり、
遺構が全然残っていない
だから、内部は見事な鉄筋コンクリートです
ちなみに、この写真は1階「武器の間」
日本刀、槍、火縄銃など、一通り揃っています
2階は「城主の間」
左の写真(左から)…濃姫、信長(騎馬)、信長
右の写真(左から)…斉藤道三、道三、斉藤義龍、池田元助
(斉藤義龍…道三の嫡男。
家臣たちに「自分の父は土岐氏だ」と吹き込まれ、
道三を憎むようになり、敗死させる。)
(池田元助…池田恒興の嫡男。
父・恒興は信長の乳母子にあたり、信長譜代の武将。
姫路城を建てたことで有名。
小牧・長久手の戦いで親子共に討死。)
城主じゃないけど、この人たちの肖像画もありました
左が竹中半兵衛重治、右が明智光秀
半兵衛は、斉藤氏時代の岐阜城を
たった17人で占領した、なんていうエピソードもありますし
光秀は、濃姫の従兄弟だ、という説がありますからね
3階は「信長の間」
複製ですが、信長の木造がドーンと置いてあります
信長が岐阜城下に出した「楽市楽座」の高札や、
「天下布武」の印鑑の複製も展示してありました
そして、最上階は定番の「展望台」
天気が良ければ、名古屋駅まで見えます
次回は、「岐阜城資料館」をご紹介します
以上、朱堂でした





