こんにちは朱堂です












今回は、関ヶ原シリーズ




「島津豊久の碑」です
















悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…




東の山奥です。(大雑把すぎる




(住所:岐阜県大垣市上石津町牧田740-21)












島津義弘陣跡


でも少し触れましたが、改めて












西軍の敗北が決まり、島津義弘も逃げなければいけない状況になりました




そんな時、島津軍が取った行動は、




敵軍の中を中央突破して領国・薩摩まで帰る








しかし、島津軍は数百。対する東軍は大勢。




しかも、追っ手は井伊直正、本多忠勝といった猛将中の猛将








そこで、何としてでも大将・義弘を逃がすために、




兵や家臣たちが数十人ずつ殿(しんがり)として残って死ぬ気で戦い、




討ち死にしたら次の数十人がまた残る




……という、想像を絶する作戦に出たのです








その時、残った武将の一人が義弘の甥・島津豊久です








彼も必死に戦い、結果、行方不明になっています








最終的に薩摩に帰り着いたのは、50人ほどになっていました。








戦後、この島津の中央突破は、




薩摩武士の勇猛さを示すエピソードとして




敵だった東軍の武将達にも絶賛され、




西軍に味方していたのにも関わらず、




改易や減封になりませんでした












…というわけで、この「島津豊久の碑」は、




豊久の奮闘ぶりに敬意を示すために建てられました








まあ、「合戦で行方不明≒戦死」なので、




事実上のお墓だとは思いますけどね…








ですが、義弘のおっちゃんを逃がすために奮戦した




彼の生き様が思い浮かんできて、




感慨にふけずにはいられませんでした








関ヶ原で必ず訪れてほしい場所の1つです












次回は「井伊直正・松平忠吉陣跡」をご紹介します












以上、朱堂でした