神戸の大震災から20年以上が経ちました。
あの年の事は、今でも鮮明に思い出します。
震災の日から二日目、大阪から阪急電車神戸線が西宮北口まで復旧し
その電車に乗って 尼崎の神崎川を越えた頃から
街の風景が段々に地震の影響で変化していきました。
屋根瓦が崩れ、家の構造が剥き出しになった様子や
傾いた家など地震の被害が徐々にあらわになってきて
西宮北口駅周りは、被災地そのものでした。
そして、どの通りも人の行き交う様子は、経験はありませんが、
第二次大戦の後の混乱状態をみるようです。
道を行き交う人々は皆無口で、目的地目指して只ただ
先を急いでいた事を覚えています。
国道二号線を西へ黙々と歩くのですが、
あの日から二日経っても 火災の火は収まることがなく
車の渋滞で国道二号線は身動きが取れません。
動いているのは 人とバイクのみという有様でした。
そのような時に、道ばたのそこかしこに「デジカメ」を持った人が
災害で被災した街並みをパチパチと撮っているのですが、
その無神経なひとの多いことに、呆れ、腹立ちを覚えたことも
ハッキリと覚えています。
とにかく、私たち親子四人は被災した親族のほうへ只歩いて行ったのでした。
東灘区住吉町方向へと。
このあとの事は ここに書くのは辛いので書けませんが、
それを考えると「東日本大震災」の被災者の方々の心中は
察するに余りあります。
あの年の事は、今でも鮮明に思い出します。
震災の日から二日目、大阪から阪急電車神戸線が西宮北口まで復旧し
その電車に乗って 尼崎の神崎川を越えた頃から
街の風景が段々に地震の影響で変化していきました。
屋根瓦が崩れ、家の構造が剥き出しになった様子や
傾いた家など地震の被害が徐々にあらわになってきて
西宮北口駅周りは、被災地そのものでした。
そして、どの通りも人の行き交う様子は、経験はありませんが、
第二次大戦の後の混乱状態をみるようです。
道を行き交う人々は皆無口で、目的地目指して只ただ
先を急いでいた事を覚えています。
国道二号線を西へ黙々と歩くのですが、
あの日から二日経っても 火災の火は収まることがなく
車の渋滞で国道二号線は身動きが取れません。
動いているのは 人とバイクのみという有様でした。
そのような時に、道ばたのそこかしこに「デジカメ」を持った人が
災害で被災した街並みをパチパチと撮っているのですが、
その無神経なひとの多いことに、呆れ、腹立ちを覚えたことも
ハッキリと覚えています。
とにかく、私たち親子四人は被災した親族のほうへ只歩いて行ったのでした。
東灘区住吉町方向へと。
このあとの事は ここに書くのは辛いので書けませんが、
それを考えると「東日本大震災」の被災者の方々の心中は
察するに余りあります。