自分にとって「正しい」ことでも他人には「正しくない」出来事の思い出 | きままなひととき

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みだしの件、独身時代のスキー場での思い出です。

 

当時はスキーブーム全盛で、リフト待ちは30分1時間待ちが当り前でした。大変混雑していますが、みんな並んで順番を待っています。

そこで、1組の親子がリフトに並んでいます。父親が妻と子供2人を引率している感じです。リフト乗り場に向かって上り勾配になっている場所で圧雪されていて、父親は先頭に居て、奥さんが2人の子供をサポートしていて子供の後ろに居ます。父親の家族はスキー初心者の様子で、上り勾配のリフト乗り場で圧雪上で滑り、もたついています。次第に列が空き始め、空席のリフトが6つ、7つとどんどん出てゆく状態になりました。その家族の後ろに並んでいた若者たちは、その4人の集団を抜いて、リフトに乗ろうとしていました。

そうしたら、その父親が、

「こら!君たち、追い抜きはいかんよ。割り込みだ。順番を守って列に並んで待ちたまえ。」

と超上から目線で、追い抜く人たちに怒声を浴びせていました。

自分の中の、「割り込み、追い抜きは悪だ。」があくまでも「正しい」との観念です。自分たちが原因でリフトの列が空いても仕方がないと思っているのでしょう。

ですが、浴びせられた若者は、言い返していました。

「そんなこと言うなら家族をちゃんとサポートしろよ。あんたのもたもたしている家族を、後ろの他人が善意でサポートし続けているのを知ってるのか?!自分の家族を面倒みろよ!」

事実、奥さんも初級者のようで、いわゆる「カニ歩き」で圧雪路の上り勾配を登っていかないといけないのですが、斜面に対してスキーの板がすれてしまっていて、滑りながらわずかしか登れていないので、後ろの他人が自分のスキーの板で奥さんのずれる板を支えていたのです。支えていたのが私の友人でしたから、よく覚えています。

 

その事を指摘された父親は、もう何も言い返せませんでした。ぼう然としていました。奥さんは、言い返した人やすぐ後ろの人に小さな声で、

「ご迷惑をおかけし、どうもすみません。」

とお辞儀をして何度も謝っていました。奥さんがかわいそうでした。

 

自分の「正しい」観念は、えてして、他人からは、自分の見えていない部分が見えていて、それが「間違っている」ことだってありえるのです。

 

自分の思い込みも、他人からの指摘で、初めて「間違い」であることに気付くこともしばしばあり、この出来事は私にとって、

「怒りは敵だ。謙虚であれ!」

との教訓として、今もはっきりと記憶に残っています。

 

ではでは。

 

 

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