国際捕鯨委員会(IWC)脱退はいただけない | きままなひととき

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日本は捕鯨に関する見解の相違が30年余り続き、これ以上は意味がないとIWCを脱退することを表明した。これはいただけない。はっきり言って反対である。
戦後の日本は武力を持たず最小限度の自衛隊で国を守ってきている。武力は米軍頼みだ。日本は国連など、国際関係は多くの国と協調することでいたずらに紛争になることを避け、戦争を回避している国だ。
その国が、国際的な意見、世論にもなっている捕鯨禁止の流れに対して捕鯨文化を歴史あるものとして保持しようとし、意見が対立しているからと言って、捕鯨再開のために脱退することと、脱退で被る国の不利益を考えた時、圧倒的に不利益が大きいのだ。
今やクジラを食べないと困る日本国民がどれくらいいるであろうか。若い世代は味も知らない人ばかりであろう。実質捕鯨なくても生活に困らないのだ。
日本の地方・大地町など極一部で捕鯨が行われているが、小舟で獲るなど小規模でもあり、クジラ保護団体から反対にあっても、民間同士であり、そこに国家が介在してはいなかった。日本古来の地域の食文化だ、民間だ、というだけで済む。
しかし、今回は国家全体で捕鯨を容認せよ、と世界に迫ったわけで、それが聞き入れられないからと、国際協議機関であるIWCを脱退するのは「短気」である。
クジラが増えすぎて貴重な魚資源が減っているから「クジラの間引き」が必要で、その相当量を日本は行う、という大義名分でもあれば別だが、そんな論法は展開していない。
一方、欧米人中心にクジラを特に愛する国民性もあり、クジラを資源と見るのではなく人間に親しい高度な知能を持つ動物、とみなして、クジラの頭数が回復しようがおかまいなしに捕鯨に反対し続けるのもどうかと思う。がしかし、これが世界の「大勢の世論」になってきている今の時代、世相を思えば、日本もIWCでは「現状維持」でよかったのではないか。
つまり、大々的に捕鯨を再開する、と啖呵を切るのではなく、あいまいなままで民間で大地町などの捕鯨を黙認する規模でよかったのではないか。
いわば禁煙喫煙みたいなもので、喫煙が受動喫煙で危険だとばかりに世界的に禁煙の流れとなっている。喫煙者の言う事など実質反映されない。どんどん喫煙者は少数になり、都会では吸う場所すらない状況に追い込まれている。合法な喫煙も世界、世相の流れだ、禁煙の流れには逆らえないのだ。捕鯨も禁止が世界の流れだ。止めようがない。時代は変わったのである。
それよりも、欧米諸国に日本は「野蛮だ」「独善的な国だ」との印象を植え付けてしまったことが残念である。日本は尊敬される国でいなければならないのだ。日本が行っていることは欧米諸国をはじめ世界の多くの国から理解され、協調されるものでなければならない。

 

今、韓国と対立し、紛争になっているが、国際機関に日本が訴えても欧米諸国は日本の味方になるであろうか。捕鯨で勝手なふるまいを日本はしているわけで、そんな国にすぐに味方しようとは感情的に思わないのではないか。
日本は国際的に諸国と協調して物事を進めないと成り立たない国だ。威圧できる武力はない。味方する諸国が減ればそれだけ国益を害するのだ。日本がやりたいことが国際的に通らなくなるのだ。これは絶対に避けなければならない外交だ。韓国との紛争も、いったいどれだけの国が日本の言い分に味方するであろうか。
映像などの証拠は大事。でも証拠という理性だけでなく人の意思を左右するのは「感情」だ。日本が嫌われればそれだけ日本は孤立する。
捕鯨でも日本は国際協調を忘れてはならない。捕鯨に関しては、脱退し再開、ではなく現状維持、でよかったのではないだろうか。

 

 

ではでは。